先日、初めて来訪した喫茶店「珈琲屋かぜ」。ネオン看板はなく、立て看板のみです。最初営業しているのか分からなく躊躇しましたがとにかく入ってみました。すると「いらっしゃい」とお髭が逞しくあつらえたマスターがお出迎えしてくれました。お客さんは私1人。カウンターへ。カウンターには大瓶に入った何種類かの珈琲豆が置いてある。徐ろにそれを確認し「マンデリンを下さい」と私。因みにこちらのお店にはメニューは存在しない。またフードメニューもない純正珈琲飲みのお店である。店内BGMの丁度良いボリュームのクラシックが耳に心地いい。お湯を沸かす。ドリッパーのセッティング。どの道具も年季が入っているらしく、渋く鈍色を醸し出している。静かに私の目の前でドリップしていくマスター。香しい香りがふんわり鼻腔をくすぐる。「温めるかい?」とマスター。何とも嬉しいサービス。「いえそのままで」コーヒーカップを持ち大きく香りを吸い込む。至福のとき。飲む。ローストは軽め。苦味や柔らか。美味しい。すると「初めてですね」「はい、珈琲が飲みたくて」その後打ち解けた様子で話に花が咲く。すると年配の男性のお客さんが来店。常連のようだ。また1人年配の男性、こちらも常連らしい。この中では私は皆さんにとって息子くらいの年齢になる。しかしとても素敵な方々で話も弾む。暫くして1人、また1人と帰っていくお客さん達。マスターと二人。
マスターは云う。「こんなひと時が楽しくて喫茶店をやっているんです」珈琲はあくまで嗜好品であり、お客さんとマスターを繋ぐ一つのツールのようなものなのだ。大袈裟に、また過大に宣伝する訳でもなく「喫茶店で珈琲が美味しくて当たり前」と語る。今から約三十年前、十勝の清水で喫茶店を開業する。その後自家焙煎を始め、数年後帯広に移転。焙煎そして珈琲を淹れて数十年の確かな自信と潔さが素晴らしい。
「”作り手”と”飲み手”の関係が大事なんですよ。こうして色々な方とお話して自分もお客さんも共に成長したいですね」言葉の一つ一つが心に染み渡る。まるで私を息子のように語りかけてくるマスター。マスターの人生の重さを感じずにはいられない。ふと気がつくとすでに外は暮れていた。なんと3時間近くもこちらに居たらしい。時間を忘れマスターと語り、美味しい珈琲一杯で大切な空間を分かち合える喜び。「カフェをいつか…」と話したら「色んなものをとにかく吸収しなさい。映画や音楽、文化や娯楽、そして人と関わりなさい。必ず活きるから」マスター、素敵な言葉をありがとう。マスターも珈琲の勉強の為、昔は足しげく喫茶店やカフェを廻り研究したらしい。私は珈琲を飲むためだけでなくマスターに逢いにまたここ「珈琲屋かぜ」に通いたいと思う。