山手線駅前の盆踊り
またまた『ご先祖ネタ』でお耳ならぬ、お目を拝借いたします。私が勤務している東京・恵比寿の西口広場には盆踊りのやぐらが立てられています。今週の週末には広場が盆踊り会場に変わります。以前からですが、都内、郊外の住宅団地でも盆踊り大会が行われ、露天、屋台でにぎわいます。東京都の人口は1300万人で、そのうちの1000万人近くが二十三区内に住んでいます。半数以上は地方から出てきて住み着いた人々の子孫です。江戸は、徳川家康が秀吉から関東へ移れと指示され、さらに関が原で天下人となってから急激に発展しました。家康に招かれて、多くの人が江戸へ移ってきました。佃煮で名高い佃島の人々の先祖も、当時の大坂湾の漁村から移ってきたそうです。すでに400年、何世代も経過してしまえば、『江戸っ子』ですしかし、戦後になった住み着いた人には故郷の記憶があります。中国返還前の香港を取材した番組に、中国各地の方言で歌、芝居を演ずる劇団の前で、目を閉じてもの想いにふける人の姿がありました。都会の中で普段は故郷を忘れていても、なにかのきっかけで思い出すことがあります。そのひとつが、盆踊りです。九州、沖縄とちがって、なんとなく東北は曇っていて、重苦しいイメージがあります。しかし、そのイメージを吹き飛ばす『三大祭り』があります。仙台の七夕、山形の竿灯、そして青森のねぶた(弘前、津軽では、ねぷた)です。ねぶたの山車灯篭に描かれる絵の中には、東北遠征における坂上田村麻呂と蝦夷との戦いがあります。京都の朝廷から見れば、当時の東北は征服されるべき土地でしたが、そこには独自の文化がありました。1994年7月16日、青森市郊外の三内丸山(さんないまるやま)で巨大建造物の跡が発見されました。いわゆる『六本柱』です。その後、発掘がすすめられ、国内最大の縄文時代の集落であることが確認されました。私は、その5年後の1999年夏、ふとしたきっかけで、三内丸山遺跡を見学できました。息子が入学した私立中学のPTAが関係する行事で青森へ行ったのです。見る直前まで、その遺跡については、まったく知りませんでした。それまでの縄文時代のイメージを覆すには、十分な規模と内容の遺跡でした。その遺跡見学には、息子の学校の教頭がガイドになって説明してくれました。教頭は社会科の先生であったのです。説明で覚えているのは、三内丸山遺跡の『ランドマークタワー』である『六本柱』の復元に必要な栗の木は、日本では入手できないので、シベリアから輸入したことです。遺跡から出土したヒスイは新潟県糸魚川から運ばれたものです。縄文時代といえば、自給自足という狭い範囲の生活を連想をしますが、予想もしない広範囲な経済活動が行われていたのです。人間は、自分が生きた時代は実感を持って語れますが、それ以前ともなれば、なんともあやふや不明瞭です。いまから数千年後の人々は、現在という時代をどうイメージするのでしょうか。