イラクからの小川功太郎さんのメールを読む。
日記をリンクさせて頂いているりょうちゃんのサイトより、転載させて頂いています。小川さんのメールを見て私自身が考える事もありますが、より多くの方達に読んでほしいと思いまず、そのメール自体を日記に転載したいと思います。以下、りょうちゃんの日記より転載です。・・・・・・・・・・・・・・・ここから転載をお願い致します・・・・・・・・・メール掲載を希望される方へこのメールは小川さんが友人に宛てた私的なメールです。受信者の方が、有意義な議論きっかけになればということでメール掲載の許可をいただきました。このメールをお読みになって、ホームページ、メールマガジン、MLなどに掲載を希望される場合、特に連絡の必要はありませんが、・「メール掲載を希望される方へ」からメールの最後までを 掲載することをご了解の上、掲載をしていただけるようお願い致します。もし何かございましたらhttp://plaza.rakuten.co.jp/tetsugakuessey/の私書箱までメールをいただければ幸いです。・・・・・・・ここから本文・・・・・・・・・・・・・・----- Original Message -----From: "Ogawa Kotaro"Sent: Friday, April 30, 2004 3:27 AMSubject: FROMイラク前略。皆様、お元気でしょうか。私はイラクにいます。バクダッド到着日に新たに2人の日本人が人質になり、その次の日に3人の人質が解放、その2日後に2人も無事解放と人質関係の仕事ばかりしてました。その後はサマワに行ったりしたけど(その模様は30日金曜日に「報道ステーション」で放送予定)、今ははっきりいって暇です。米軍の報道規制が厳しいのと誘拐の恐れがあるのでバクダッドから動けないのです。同行したジャーナリストの叔父も早々に引き上げ、今は通訳と2人で午前中は難民キャンプなどの取材、午後は読書とチグリス川で釣りをする毎日です。大手テレビ局が引き上げたので、何かあったときのためのスタンバイという感じです。日本では人質事件以降イラク報道の熱が冷めたように聞いてるけど、本当ですか。イラクは実は今こそ酷いことになってます。特にファルージャという町での米軍の蛮行は目に余るものがあります。スナイパーが面白半分に通行人や子供を撃ち殺し、町は手当たり次第に空爆、でも報道規制があまりに厳しいため、こうした現実は町から命がけで逃げ出してきた避難民の証言でしか伝えられません。2週間で1000人近い人が死んでる。これはもう戦争というより虐殺です。罪のない無実の人間を殺す、これこそテロ以外に何者でもないと思う。今イラクのみならず、アラブ世界全体が「ファルージャを救え」と叫んでいます。すでに10万人近い市民が町を脱出したけど、脱出途中に撃ち殺されたり、無事抜け出せても住むところもなく、バクダッドに急遽できた難民キャンプで不自由な生活を強いられています。イラク全土で憎しみが増幅しています。もちろん米兵も沢山死んでいます。「大本営発表」の倍は死んでる。ここまで死人を出してアメリカが守りたいものが結局「石油」や「復興ビジネス」でしかないのだと思うと、怒りを通り越して虚無感を覚えます。人質がバッシングの嵐に遭っているそうですね。かわいそうなことだと思います。2回目の2人は地元の人の忠告を無視して危険地帯に突っ込んだので仕方ないにしても、最初の3人を責めるのは可哀想だと思います。彼らが通った陸路は我々も3月に通って何の危険もなかったごく一般的なルートでした。何よりもかれらはそれぞれイラクのために役立ちたいと考えて来たのに、まるで罪人あつかい。自衛隊の活動に迷惑がかかるというが、自衛隊も外交官もNGOもジャーナリストも各々がイラクの役に立ちたいという共通の願いを持って来ていて、その思いに上下貴賎はないと思うのですが。むしろ、自衛隊は守りが堅固で攻撃したくても難しいから民間人が狙われたのです。こんなこと言ったら今の日本ではバッシングの対象ですか。個々の自衛隊員には全く罪はないし、とても大変な任務を頑張っていると思うけど、狙われているのは残念ながら事実です。ここ20年、日本のNGOもジャーナリストも世界の紛争地で危険にさらされることなく活動してきた。第二次大戦以降、日本人がここまで明らかに政治的意志を持って狙われたのは今回が初めてだという事実をもっと真剣に受け止めるべきじゃないのかと思います。誘拐は追い詰められたファルージャの人々の「窮鼠猫をかむ」的行動でした。でもなぜ日本人かというと、日本がイラク戦争に賛成し、今も軍隊を駐留させているから狙われた、それだけのことです。自衛隊が人道援助に来ているというのはサマワの半数ぐらいの人とバクダッドの一にぎりのインテリしか知らないことで、大多数のイラク人は残念ながら「日本はアメリカに味方して軍隊を送っている」としか思っていません。それでも、バクダッドなどのイラク人は相変わらず親日的なので、町を歩けば皆笑いかけてくれるし、誘拐事件のことは「卑劣な行為だ」とまるで我が事のように同情してくれます。しかし、ファルージャなどの追い詰められた人々はそんな余裕はありません。もちろん、アメリカの占領に対して武力でしか戦わないイラク人にも問題はあります。アメリカはイラクの占領政策について「日本のGHQをお手本にする」と言ったそうだけど、日本とイラクでは事情が違いすぎます。アラブ人は千年前は自分たちが世界の中心だったという強烈な自負と誇りがあり、決して抵抗を諦めないでしょう。それがデモなどの政治運動に繋がればいいのだけど、彼らはそれよりも武力を信頼しています。身の回りに武器があふれていて、政治活動という回りくどくて勝ち目のない戦いよりも、操作さえ覚えれば敵を殺せる「武力闘争」のほうがはるかに説得力があって、どうしても惹かれてしまうのです。日本で言えば戦国時代の思想なんだけど、武器だけは近代的だというのが問題です(それも結局アメリカ製だったりするんだけど)。ここでは「兵器」という名の「思想」がはびこっています。それでも結局彼らに勝ち目はないでしょう。兵力に差がありすぎます。人質事件が起こった今こそ、日本でもイラク問題に関する根本的な議論が行われてもいいと思うのだけど、バッシングだけで終わってしまうとしたら寂しいことです。世界の中で日本がどうあるべきか、ということを考える近年まれに見るよい機会だと思うのですが。でも、日本にいるとそんなこと考える余裕がないというのも確かだと思います。僕自身、働き始めてからはそうした問題はなるべく考えずに避けて通ってたし。仕事に追われ、そのうさを晴らすように腹いっぱいメシ喰って、ポンだチーだと叫んでやり過ごしてた。でも、今回ばかりは・・・という気がします。前回イラクから帰って心から思ったけど、やっぱり平和というのはいいものです。日本で満開の桜を見て、それを楽しむ人たちを見るだけで涙が出そうでした。有難いことだな、と。できれば世界中の誰もがこの幸せを感じられればと思うのだけど、自分に出来ることといえば、目の前で起こってることをなんとか伝えることと、こうして心ある人にメールを書くことくらいです。安全には十分注意を払い、現地大使館とも連絡をとりながら、なるべくおとなしく暮らしています(今の大使は立派な人で、外務省の退避勧告が出てるのに、私ごときの駆け出しジャーナリストを応援してくれます)。いのしし歳なので、ときには理不尽な現場に突撃したい衝動にかられるけど、ぐっとこらえてチグリス川の川面を眺めています。きっといつか役に立てる日が来ると思いながら。なんだかわからない何かを知るために。少々飲みすぎて感傷的なメールになってしまいました(イスラムの国でも「不良」のためのヤミ酒屋があります)。あと1ヶ月くらいはバクダッドにいる予定です。また、メールします。再見。小川功太郎*5月初旬発売の月刊『現代』に前回ファルージャに行った時のことを書かせてもらいました。よかったら読んでください。・・・・・・転載ここまで・・・・・・・・・・・・・・・