虐待の連鎖
虐待をされて育った子どもは虐待をするのか?自分がされてイヤだった事は人にしてはイケナイ。これは、どんな場合にでもあてはまる方がより多くの人が幸せに暮らせると思う。でも、実際にはそうはいかない。虐待をされて育って、自分が苦しんだからわが子にはそのような事がないように。こんな風に、連鎖を断ち切る事が出来る人もいる。子どもを慈しみ大切に育てる事が出来る人もいる。でも、出来ない人もいる。人を愛する事がわからなくなる人がいる。どうやって接していいかわからなくなる人がいる。心が傷付いたとき。その心は誰にも見る事は出来ない。同じ経験でも受け止め方は人によって違う。性的虐待で男性不信になった。と子どもの睾丸を切り取った母親は言ったという。男性不信になった。心が傷付いて男の人を信じられなくなった。虐待でなくても男性不信になる人はいる。傷の深さが違うのだろうか?もしかしたら同じかもしれない。その人個人によってその深さの感じ方は違うのだと思う。性的虐待で男性不信になった人。恋愛で男性不信になった人。どちらも、自分の子どもの睾丸を切り取るという奇行を犯すかもしれないのである。心の中の事は多くの人が興味を持ち多くの人が理解しようと考えるけど本当のところはなかなか見えてこない。もし、虐待をした人が虐待を受けていた事から自分が虐待を繰り返していると思ったのならそれが本当なのかもしれない。他人が『おかしい!』と思っても本人にはそれが『虐待をした理由』なのだ。子どもを守るために虐待をしてしまう親が自分が虐待をされていた事をあげるならそこのフォローが必要だと思う。いま、社会は少しずつその方向に動いているようにも思う。自分が虐待をしてしまいそうと怯えている人もいる。実際に虐待をしている親も居る。子どもを守るためにはいい方向に向いているのだろうか?まだ、わからないけど、良い方向へ進んでほしい。虐待防止法…改正。詳しい事がまだわからないのですが(私が不勉強ということで^^;)わかったら、また日記に書きたいと思います。