八王子市の消防団員でした
平成4年から長きに渡り、消防団員として活動していました。その間に火災で出動したのは、100回を軽く超えていたと思います。山林火災では、放火と思われるケースが多く、自動車での焼身自殺では、ガソリンに引火して消火に時間がかかり、平日の未明まで任務にあたりました。最も悲惨だったのは、アパートの火災でした。くわえ煙草でファンヒーターに給油していて引火、たちまち木造アパートは、火の海になっていました。この馬鹿野郎の隣部屋には、赤ちゃんがいましたが、死亡しました。タオルに包まれた赤ちゃんの横で、すすだらけで肩を震わせ、下を向く火元の若い男、そっと肩に手を添える女性。その後どうなったのか不明ですが、苦難は容易く想像できました。残念だったのは、消防団員による連続放火事件。刑事は犯人を特定していて、裏付けを捜査していましたが、逮捕には時間かかりました。被害も重大で死傷者も出ました。創価大の火災も印象に残ります。翌日に盛岡出張を控えての出動、真冬の凍てつく寒さの中の放水。消火活動は報道ステーションで中継され、深夜に及びました。逆に、真夏の火災は、防火服着用が大量の発汗を招き、体力が必要でした。いずれのケースでも仲間と一致団結し、チームワークで乗り切ってきました。私は班長を務めましたが、部長は固辞しました。そういえば、石森現八王子市長も消防団員仲間で、訓練や宴席を共にしました。中学の体育祭では、一緒に綱引きもしたものです。火災はオールシーズン発生します。読者様もくれぐれも火の用心を、お願いいたします。