『十七歳の地図』 随分遠くまで来たなぁ
音楽というのは気分によって選ぶとき、場所によって選ぶとき・・・様々です。 先日大阪から東京に帰るとき、空港で時間が結構あり、ふと思い立って「十七歳の地図」を聴きました。言わずと知れた、尾崎豊のデビューアルバムです。 不思議と”空港”という場所か、いや大阪と東京の間(地理の問題ではなく)の中途半端な感じだからか、よく似合っていました。 それから、時々頭の中でアルバムの曲が流れていたので、改めて今日の会社帰りに聴くことにしました。 ipodのイヤホンから流れる、OZAKIの声は何と若い(当然10代の声)。キーも随分高いし、よくよく聴けばなんとも荒削りな歌声。けれど、心に訴えかける力は強い。 (何度か書いているので、物覚えの良い方なら「また?」と思うかもしれないですが、ご了承くださいませ) 14歳でラジオから流れたOZAKIの「卒業」を聴き衝撃を受けて以来、本当に10代は彼の曲を良く聴きました。「十七歳の地図」は、全て歌詞を見なくっても歌えるし、そのあとの「卒業」ももちろんです。レコードとテープ(時代を感じますね)で、毎晩ずーっと聴いていたので、DNAのどこかに刻み込まれているのでしょう。また美術の課題で、歌詞をモチーフにしたりしたっけなぁ。 本当に久々じっくり聴くと、いろいろな感情が沸き起こりました。”夢”とか”愛”とかを必死に追い求め、もがき苦しんだ歌詞は、現在の私に呼びかけたようです。 自分の将来が何なのかさえ 分からず震えていた 15の夜 それを聴いて、自分の人生を必死で生きようとした15の私から見て現在の私は一体どうなんだろう?思い描いた人生を歩んでるのだろうか・・・なんて。 もう一昔も二昔も前の、8月25日。初めていった、大阪球場でのOZAKIのコンサート。アリーナなんてとんでもない、スタンド席の金網越しで、スクリーンなんてないから、小さな彼の姿を初めて見た日。多分人生で初めての種類の”感動”を受けた、記念の日。 あれから随分遠くまで来たなぁ。。。。 彼の歌詞に出てくる”東京風景”、それはとても無味乾燥だけど、15の私は想像しかなく肌で感じたことなかったけれど、今その街に住んでいるって不思議な気分です。 彼が歌うほど、悪い街ではないし、大人になるって子供でいるよりずっといいし、描いた人生とは違うけれど、それはそれで良いものだと。。。 今では恥ずかしくなるほどの”青春”を呼び起こす、「十七歳の地図」 時々、ほんとうに時々、聴いてみるのもいいかもしれないなぁ。 十七歳の地図