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2008.07.17
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カテゴリ:美術、遺跡、景観
今日は、日帰り東京でした。
用件は5時半ころ終わり、「神楽坂」の横だったので、予備知識ほぼゼロですが、みるからに何かありそうなので歩いてみることにしました。

まず地形。

微地形というか起伏にとんだ街で、JR飯田橋駅から、
まっすぐ、幅10メートルくらいの両側にお店が軒を並べる通りが延びていて、直線的にグッと上り坂になっています。
「下町の通り」といった賑わいです。
「商店街」でもあります。ただしアーケード街ではありませんし、両側歩道で通常は自動車が走っています。
(ホコ天にする曜日・時間帯があるので、東京の人はそのイメージをするかな、と想像はしますが。)

「門前町」っぽい、ともいえるかもしれません。仏壇屋が多いとかではないですが。
なんとなく「まとまり」がある。 ただ並んでる、というのでなく。


実際に歩いてみると、脇へ伸びる通り(路地)沿いにもお店があります。
みかけよりも、起伏はかなり複雑なようで、
大まかに言えば、「尾根」の部分が「通り」になっている、ようです。
横道は、グッと下がるとこもあり、
そこにまた石畳があったりして、「風情」があります。
察するに、関東大震災や、東京大空襲で、焼けなかったのか、、
それとも、焼けたにしても、根幹のところが残ってその上に再建したのか、、、でしょう。
(焼けなかっただろう、、、と思わせる建物がちらほらみかけられます。)

お店が並んでいるところを形容するとき、
よくあるのは、「家具屋街」「電気屋街」「衣服屋街」または「食堂街」「歓楽街」など、、、
業種でみることができますが、
その意味では、実に混在していて、
飲食がかなり多くありながら(和、洋、中、、、)、
雑貨、履物、衣服、もちろん、食料品、、、

この「神楽坂」おおまかにいえば、
交差する太い道によって、2つの区域(区間)に分かれています。

そして、飯田橋寄りの区間は、飲食・最寄品系が多いかもしれません。
サラリーマン・来訪者系、、、

地形的な文脈というか、「クライマックス」感、、でいえば、
当然、「坂」の場合、
「上りきったところまで」つまりは「頂上」が、
ひとくぎりになる、、、はずです。
この「頂上」にはお寺があり、「ひとくぎり感」がかなり出ています。
TS380267.JPG

確かに、気のせいか、
「飯田橋寄り区間」のうちでも、「頂上」にあるお寺の近くの部分までが、
特に、「サラリーマン・来訪者系」の「やや繁華街的」な感じがします。
言い方をかえれば、おそらくは、賃料も高く、比較的、更新・入れ替わりがあって、
収益性が高いものになり勝ち、、ということかもしれません。

で、この「頂上」を過ぎると、
一瞬、「ああ、ここまでが、神楽坂か、、」と思わせるのですが、

このあたりから、まだまだ、
和装のお店なり、雑貨なり、「通り」は、鄙びずに続きます。
このあたりが、東京らしい(経済的に栄えている大都市らしい)、、

さきほど、業種的には雑多、、といいましたが、
アトリエ、創作陶芸などの類は、そこここに眼につくのがやや特徴かもしれません。
脇道に入ると、、
そして、「地下鉄神楽坂駅寄り区間」に入ると、よりこの傾向がある気がします。

あとは、和装、骨董、陶器など、、の類も。

で、「業種」による特徴、、、とは別の見方としては、
やっぱり、「グレード」でしょう。

「グレード」といっても、「良い店があるか」とか「おいしい店があるか」なんてことは
わかるはずもありません。

ただ、雰囲気としての、ハッキリいえば「客単価感」、、、が、
「中から上」のイメージをかもし出してます。

言い方を換えれば、「グレード感を、ちゃんと保っている」気がします。
これは、「繁華街化」したりして、ついつい特徴を失って、
いつしか、グレード感を失ってしまう、、ということに今のところなっていない、、、

これは、「特徴感」ともいえるかもしれません。
実際に特徴があるかどうか、、より、"特徴がありそう"な雰囲気 ということなのですが。

そのベースの上に、、または、そのベースをつくっているのかもしれませんが、
「割烹」「和菓子」「パティシエ」がそこここにあります。
そして、脇道・路地沿いにもあって、
街に「懐」の感覚を抱かせます。「オモテどおり一本でオシマイ、、じゃないよ、、、」と。


大阪の多くの「街」は、これらの点で、大きく損なわれている場合が多いのですが、
この「神楽坂」は、おそらくは、「飯田橋寄りの区間」のさらに駅から頂上までの区間、、がさらされているリスクを、
残りの4分の3が、支えている。 言い方を換えれば「分担している」ということなのかもしれません。

実は、この「神楽坂」、、飯田橋から地図も見ずに歩き出すと、
途中で、先の「頂点」でのお寺もあって、あとは下ってきて、
太い道(&信号)、、、

「ああ、ここで終わりやね。」
と思わされます。

もちろん、信号の向こうにはまた「商店街」があるのですが。
「向こう街」なのかな、、、と。


しかし、実は、ここからが、より「神楽坂」なようです。
こちらに入ると、より、「生活色」というか、「地元色」が出ます。
といっても、「地元そのものが、決して、貧民街や単なる大衆居住地じゃないよ」
という雰囲気を漂わしてはいますが。

また、一方で「音楽の友」社の本社が、びっくりするほどこじんまりかつ平然と「軒を連ねて」います。
新潮社も交差するやや太い道沿いにあるみたい。
神田神保町に集まってるのかと思いました。出版社。

飲食店は、やはり、それなりの店っぽいところ。
ただ、この区間になると、より落ちついた風情をみせているのに、
逆に「割烹」風、「江戸時代から続いているような風」という飲食店は
気づきませんでした。
どちらかというと、
「腕に覚えのある人」「こだわりの人」がお店を構えて、
「安くはないが、手は届くくらいの、ちょっと良い物食べたいのなら」
というような雰囲気の(雰囲気ですよ、、)お店のラインになる気がします。

これは、脇道も含めて。
で、アトリエや、創作小物などのラインのお店がある、、のとも
イメージがつながる気がします。
荒い印象としては、
「クリエイトしていく者たちの(ただし生活に接点がある程度で、トンガリすぎない)街」
というような雰囲気。。。

結果論かもしれませんが、
こうした「イメージの文脈」がお互いに、阻害しあわず、
協調した集積がなされる、、、
と「街」の雰囲気が、産み出されるのですね。

で、歩いていくと、
やや太めの(といってもほとんど人しか歩いてない)道が開けて、
「赤城神社」という字が眼に入ります。
建物は、普通の赤い神社、、という感じですが、
ふと開けた場所に、「参道」と「森」が印象的です。
TS380264.JPG
TS380265.JPG

建物の新しさからみて戦争で焼けたのでしょうか、、、

もしかしたら、この「地下鉄神楽坂寄り区間」は、
空襲で一旦焼けたから、「代々の割烹」的なものは無いのかも、、
事実関係は知りませんが。
そうとしたら、やはり、「乱雑」にならずに「街」を形成しているのは、
(かといって、さびれず)大したものです。


境内は広くはないですが、
参道の石畳がすっと伸びているので(距離そのものが長いわけでないですが)
きれいで、落ち着いて見えます。
やはり、石畳はずっと昔からのもの、、という風格と落着きがあります。

このあたりは、「お祭り」が盛んなのでしょうか?
ちゃんと数えなかったですが、
いろんな「町」(ちょう)の、おそらくは山車か神輿を格納する「蔵」(大阪でいえばだんじり小屋)が、10くらいは並んでいたように思います。

神社を抜けるともう普通に住宅がならんでいるのですが、
実は、この神社、「高台」の端にたっているようで、
抜ける手前に、急な石の階段があって、鳥居がたっています。
どうも、南南西から北北西に走る崖か断層の端あたりに位置するようです。
昔は、この階段の下の地域からみれば、
「高台に鎮座するお社」だったのかもしれません。

階段を下りてみると、
三叉路(たぶん)で、どちらも坂です。
説明する碑が立っていて「赤城坂」とのこと。神社の名前から来た坂の名前だそうで、
「車で行くのは(この場合、荷車のことでしょう)やめたほうがよいですよ」というような昔の記述があるそうです。明治期くらいの記述でしょうか。

で、三叉路のうち、神楽坂の方へ返す道だけが上り坂です。
確かに結構、急。
で登って、T字路になった正面に、
「亀井堂」とあります。
建具や柱を深緑に塗って、パン屋さんのようです。
TS380266.JPG


みてみると、クリームパンが有名!!!とあります。
隣は、「あのクリームパンで有名な亀井堂が開いたレストラン」とのことで、
こじんまりとした、ビストロ風のお店(外観の印象)です。

小腹もすいていましたので、
ここは、クリームパン、、、ぜひ、、とおもって、
中に入ると、
クリームパンが10個ほどならべてあります。(もちろん、他のパンもいろいろ)
で、「人気商品なので、おひとりさま、5個まで」とあります。

おみやげにしようにもカバンは既に書類でパンパンで、
ウチまで無事にもってかえることはムリやし、、、おみやげはあきらめて、
「ひとりゴッチ」にします。
1個200円。

お店の方も丁寧で感じのよい応対。

大のオトコが、クリームパン1個、、の袋をぶらぶらさせて、お店を出て、、、の図です。

出てみると、実はこのお店の通り、
先の、赤城神社の前を横切る通りでした。

で、神楽坂に返すと、
実は、このあたりが、地下鉄神楽坂 でした。

さらに進むと、
戦前からの和菓子屋さんらしいお店と住宅が、、、、「清水」という屋号のようです。
ここまで来ると焼け残った、、ということか。

地名は「牛込」とかになっています。

まだまだ、「街」は続くのですが、
「神楽坂」は一応このあたりまで、、、ということのようでした。

帰りは、裏にまわってみたりして(普通の住宅地にすぐなったり、また、意外なところで急坂や崖(=階段)になってたり、、)行き来しながら、
帰ってきました。

背中に書類や図書を詰めて大体1時間半、、、あるきまわったのですが、
先のクリームパン、
さすが、本格的な「カスタードクリーム」がたっぷり入っていて、
大きさもかなり。
なので、空腹に悩まされず、、、というか、
やや、短期的な「満腹感」というか「飽和感」(おそらくはカスタードクリームとそのバニラかの香り)と共に歩いた、、、のでした。
これまた大のオトコが、ファーストフードよろしく食べながら(といってもさすがに恥ずかしいので、場所を選んで、やや早めに、、ですが)、、、

忙中閑あり、、、ということで、ほんのちょっと、、、いきあたりばったりの「一見さん」の「超小旅行」でした。

なお、以上の記述は、今日行って、ぶらぶら歩いて、
その印象を今、かきたくなってかいてるだけなので(歩いてる段階で何か記録したり分析しようとしたのではない)、
かなり、推量だらけ、まちがいもきっと仁和寺の僧都並みにあるだろうことを前提であたたかい心でおよみくだされば幸いです。





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Last updated  2008.07.18 02:33:44
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