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テーマ:たわごと(26881)
カテゴリ:生活
認知症の祖母を見舞いに、老人ホームに行ってきた。
毎度のことながら、人生の最晩年の老人たちの姿を目の当りにすると、強い衝撃を受け、人生観が揺らぐ。 お金も暇も元気もあり、ゆったり人生を楽しんでいる両親の世代を見ると、「年をとるのも悪くない」と思う。が、老人ホームでは、そんな呑気なことではない。朦朧とした老人が車椅子に連なり、エルビスプレスリーをBGMに、居眠り、うめき声、奇声を上げたり、泣いたりしている。 お昼ごはんは大変だ。うつむききった老人の口を、無理やりこじ開けて、食事を流し込む。「おしっこ!」と叫ぶ人がいれば、ホームの人が、あわてて、トイレに連れて行って、渾身の力で、老人を便器に乗せ、用を足させる。 そこで働いている方々の献身には、頭が下がる。家族として、そうした世話を日々、行なえないことを申し訳ない、と思う。 と同時に、もう、トイレにも自力で行けないのなら、オムツ垂れ流しでいいんじゃないか、とも思う。食事を食べたくない人に、三食、無理やり、与えなくてもいいんじゃないか、とも思う。 思うと同時に、そんな風に思う自分に後ろめたくも思う。祖母には長生きしてほしい。生きている限りは、気持ちよく、人間らしく、生きてほしい。 が、どれだけホームの人に良くされても、祖母には、満足も、感謝も、ない。これまでの人生を振り返ることも、肉親が見舞いにきて嬉しいという感情も、将来に対する希望も、ない。耳が聞こえず、周囲の状況も把握しにくくなってきている祖母にとって、生き続けることは、苦 痛でしかないのではないか、と思う。思うが、推測に過ぎない。 夫、子ども、孫に囲まれ、機知に富んで、愛情豊かだった祖母。富貴にも、健康にも恵まれ、起伏はあったものの、大正、昭和、平成と、長く幸福な人生を歩んだ女性だった。 所詮、人間、いつまでも右肩上がりに上り続けることも、得たものを溜め込むことも出来ない。徐々に体力が衰え、知力が衰え、感情も磨耗する。お金も意味がなくなる。いつかは、自分も身の回りのことすら、自分で出来なくなる。 それでも、死期を自分で選ぶことは出来ない。 いつか、私もそうなるのであれば、そうなる前に、うんと人生を楽しもう、と思う。 と同時に、どれだけ楽しんでも、着地点がこのようなことであれば、所詮はむなしい、とも思う。全ての楽しみは、過去になり、消えていくのだから。 あるいは、富める者にも、貧しい者にも、全ての人に死が平等に訪れるということで、救われる部分もある。 閑話休題。 私の、白金台と大手町の日々も、7月で終わろうとしている。永遠に続くかと思われた、周回する時間のなかで、いつか季節は過ぎ、一つの時代が終わったのだ。 5年あまり続いた、この季節が、このように突然、終わりを告げるとは、数ヶ月前には、想像もしていなかった。 でも、考えてみれば、そのように、私はいくつかの季節を生き延びて、今日まで生きてきたわけだ。人生の流れは、滑らかではなく、唐突で意外な、いくつかの大きな断層の連なりだった。 40歳という年齢で、新たなステージを希望を持ってスタートできることを、天に感謝したい。 その新しいステージも、いつまでも続くものではない。 いつか、私にも最期のステージが顕れ、ついに、現世で新しい希望を持てないときが来るだろう。それは、はっきりしている。 そのとき、私は、来世のことを考えるのだろうか? いずれにせよ、いつか、今生に終わりが来ることを、忘れないで生きていきたい。 一ヶ月ほど、東京を離れるのを機に、ブログはしばらく、お休みとします。 再開するかどうかは、新しいステージの展開のなかで考えることにします。 3年近く、おつきあいいただいて、ありがとうございました。 また、お目にかかれることを楽しみに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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