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テーマ:闘病日記(4013)
カテゴリ:家族のコト
※お食事中の方はどうかお読みにならないでください※ 3月2日に2度目の手術を終えてから約1ケ月半、4月24日父は三度手術を受けることになった。 2回目の手術の後、「いずれ体力が回復したら再度オペをしてどこにもつながっていないすい臓を小腸とつなぐ手術が必要になります」と言われたが、今回の手術はそれではない。 すこしづつ回復していくなかで、呼吸器がとれたころ2ケ月ぶりに父は「キウイ」という固形物を口にした。ところが、そのキウイはおなかから出てきたのである! キズの治りが悪くくっついていないという話は聞いていたけど、内臓である胃と腸にも穴があいていて、口からはいったキウイは胃から飛び出し、さらにキズのふさがっていないおなかから飛び出たという話だった。 少しづつ自分の肉が再生されてきたころをみはからって、おなかの穴をふさぐ形成外科手術をするといわれた。たんに傷口を縫うのではなく、父の太ももから皮膚を移植してふさぐというものらしい。そこまでしないとキズがふさがる見込みがたたないということ。 しかし、父が入院している病院に形成外科はなく、連携している病院からドクターにきてもらうことになるのだが、学会がかさなるとかで、当初4月22日に予定していた手術はゴールデンウィーク明けになると伝えられた。 ところが4月23日母から、「お父さんの手術、急に明日に決まったの」と連絡がはいった。結局このまま時間が過ぎていけばどんどん衰弱が激しくなり、全身麻酔に耐えられる体ではなくなり、現時点でもギリギリだろうという形成外科ドクターの判断によるものだった。 手術は全部でおよそ6時間超。最初の2時間で穴のあいている腸と胃を縫合、その後4時間をかけて傷口を縫合。 全身麻酔をかけると血圧がドンと下がるので衰弱している体には少なからず影響がでること、手術が成功しても再びまた穴が開いてしまう可能性もあること、傷口があいている間に入り込んだ感染菌が術後どのような悪さをするか予測ができないこと、などが事前に説明された。 母親が術前に初めて一度だけみた父のおなかは、幅10センチ、縦30センチにわたってパックリひらいていて、内臓が丸見えだったといっていた。あんなに穴があいてたら感染症になり熱が続いてもしかたない、生きているのが不思議に思えるほどだと驚いていた。 何があっても不思議じゃなかった手術は、24日夕方無事におわった。 父が個室に戻ってきたときには意識もはっきりしていて前回の手術と比べたら術後は良好のようにみえたそうだ。 <ドクターからの術後の説明> 手術は成功したけれど、今後どれだけ回復していくかはわからない。 万一また穴があいてしまった場合は、一生食べ物を口にすることはできない。 そして、長時間内臓が空気に触れていたせいで内臓が硬くなり、本来の機能ははたせなくなってしまった状態である。 硬くなってしまったことにより、栄養を吸収する能力が激減したということらしい。太ることはできず、よってもとのような体力を取り戻すということが厳しいということ。 「傷がうまくふさがって食事ができるようになっても、80歳のヨタヨタじーさんのままだってことだと思う」と母はつぶやいた。 そんな可能性があるのなら、何故もっと早くに傷口をふさぐ処置を施してくれなかったのか?何故胃にも腸にもおなかにも穴が開いていることがわかっていて数週間も放置していたのか? 余命が短く、この2ケ月の間にゲッソリ痩せてしまった父の唯一の希望は、食事ができるようになって、わずかな時間でも普通の生活に戻れるようになることなのに!! でも。 母は今もこれからも世話にならなくてはならない病院で、殺そうとおもってやっているわけじゃないことがわかっていて、先生を責めるような発言はできないといった。 たしかにそれもわかる。 数週間の間に再生した皮膚のおかげで皮膚移植はせずに縫合できたこと、全く再生していない状態で縫合をしても結果としてまた開いてしまう可能性も考えられたことを思うと100%ドクターを責められることではないことだと思う。 でも、あんなにおしゃべり好きだった父が、一言二言「うん」「ううん」としか話せないまでに衰弱し、転移しているガンの治療もできずに寝たきりでわずかな余命を過ごしているのに、3度の手術を乗り越えてもこの上食事もできないなんて酷いことを父に告げなくてはならないようなことになったら・・・・。 術後2日の昨日、状態はあまりいいとは言えないと母は言っていた。 どうかどうか、父の傷がふさがりますように・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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