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カテゴリ:昔のこと
今日は
絵心がまったくないと思われている私の 小学生の時の写生会のお話をします。 小学生の頃 お弁当持参で学年ごとに決められた場所へ行き 一日がかりでお題の絵を描く写生会があった。 小学1年生の時の場所は牧場で、 お題は「牛」だった。 保育園に通っていた頃も画用紙に絵を描くことはあったのだが、 何を描いても良かったり、 お父さんやお母さんを描くにしても想像と記憶で描いていたので 目の前のものを見ながら真剣に描くという行為はおそらく初めてだった。 私はある一頭に目をつけ描き始めたが、 すぐにそいつは歩いてどこかへいなくなってしまった。 今考えれば別にどの牛でもよいから お手本にして適当に最後まで描けば良かったと思うのだが、 私はくそ真面目な子どもだったので、 全部消して一から別の牛を描きはじめた。 半分くらい下書きを鉛筆で描いたところでまた牛が移動してしまい、 私はまた消してしまった。 そうこうしているうちにどんどん画用紙は汚くなり、 ケシゴムで力強く消しすぎたせいで真ん中の一部分がうす~くなって破けそうになってしまった。 仕方なくそのうす~い部分を牛の体の白い部分にしようと決め 胴体から描き始めたが、 顔を描く前に時間が無くなって写生会の時間は終わってしまい 私は家に持ち帰って続きを描くハメになった。 実家の隣は親戚の牧場だったので 見に行って描けばよかったのだが 隣の牛は放牧されておらず牛舎の中にいて、 いつウンコが飛んでくるかわからないような場所で 写生なんか出来ないと思いあきらめた。 そこで私は思いだしながら牛の顔を描くことにした。 が、いろんな記憶がごちゃまぜになっていて この世の物とは思えない変な生き物になってしまった。 色を塗るとさらに最悪で、 他の子が白と黒でイメ-ジどおりの牛色で塗ったのに対し、クソ真面目に薄汚い牛の汚れを忠実に再現してしまった私は、白い部分を変な色にしてしまい完全に牛では無くなってしまった。しかもうす~くなった部分にも色を塗ったので穴が開いてしまった。 私は自分で描いたくせに 出来上がりの絵のあまりの不気味さに泣きそうになり、 二度と見たくないとすぐに4つ折りにたたんでしまった。 次の日 「もしかしたら先生があまりのひどさにビックリして新しい画用紙くれるかもしれない」 という期待を胸に 4つにたたんで余計汚くなった牛の絵を一応ランドセルに入れて登校した。 が、 やっぱり世の中そんなに甘くはなく、 4つにたたんでしかも穴の開いた見るも無惨な化け物の絵を自分の作品として 提出することになった。 さらに最悪なことに 後日写生会で描いた絵は、誰が描いたか一目でわかるように先生のキレイな字で名札がつけられて体育館に貼られた。 上手な絵には学年ごとに 金賞1名 銀賞2名 銅賞3名が選ばれて絵の横に紙が貼られていたが、 私はそんな賞なんかより 誰かこの絵を捨ててくれ~ と思っていた。 こうして私は写生会が大嫌いになった。 2年生の写生会のお題は 「パワ-ショベル」だった。 私は前年の嫌な思い出があるので 朝から具合が悪かったが、仕方なく出かけた。 お題のショベルを見て 「なんじゃこの機械!!描けるわけね~だろ!(丿>ロ<)丿」 と思ったが、 いざ描き始めて見ると ヤツは動かないので描きやすかった。 出来上がってみると 予想に反して良い出来で、 後日貼りだされた私の絵には なんと 「金賞」(°口°;) !! の札が貼られ、 さらに町の文化祭にも出展された。 3年生になり お題は「消防車」となった。 昨年のことがあって写生会が大好きになった私は(おい) 元気に描きはじめた。 が、 思ったより消防車は難しく、 しかも初めて絵の具を使うとあって 下書きまでは良かったが、 色を塗った出来上がりは牛の絵を彷彿とさせる ひどい作品になった。 昨年のことがあるだけに 少し期待していた担任は !Σ( ̄□ ̄;) 私の絵を見て固まっていた。 4年生になり お題は「お寺」となった。 昨年のことがあって、また写生会が嫌いになった私は 朝から重い足取りで登校し 嫌々お寺の絵を描き始めた。 下書きまでは順調で 「色塗りたくないな~塗ったら変になるんだよ~」 と思いつつ 渋々色を塗り始めた私に奇跡は起こった。 なんと一度も失敗しなかったのだ。 そして私の絵は銅賞に輝いた。 5年生になり お題は「アスレチックのある公園」となった。 今までは皆が同じものを描いていたが 今度は公園内であれば何を描いても良いということになった。 私は友達と数人で ハスの花が浮かんだ池とそこにかかる木のつり橋をメインに ロッジ風の休憩所や遊具を細かく描いた。 担任の先生が見回りに来て 私の絵を見「よく描けている」と褒めてくれたが やっぱりまだ下書き段階だった。 出来上がった絵は・・・ 銀賞だった。 6年生になり お題は「商店街」だったが やはり昨年同様どこのお店を描いても良いということになり 私は友人3人と一緒に パンが美味しいケ-キ屋さんを描くことにした。 (なんせ田舎なもので商店街端から端まで行っても大した距離ではない 笑) 下書きを書き終えたくらいのところに 商店街のオバサンがとおり 私の絵を見て 「上手ね~」 と褒めてくれたので、いいだけ調子にのっていた。 またしても奇跡が起こり 自分で言うのも何だが、 色を塗り終えても私の絵はそこら辺の誰のよりも上手だった。 終わって集まった友達からも 「○ちゃん(←私)スゴイ上手~」 と褒められ 私自身も 今までで一番の出来だ!!これは金賞間違いない!!v(≧∇≦)v と勝手に確信して調子に乗っていた。 数日後、最後の写生会なので 賞は学級会をしてみんなで決めようという話になった。 最後の3点まで私の絵が残り さ~金賞選びという時になって先生が言った。 「上手さ正確さキレイさでいったら○(←私)の絵なんだけど、 先生は今回あえてMの絵に金賞をつけたいな」と言った。 Mちゃんは絵が上手だと言われていて確かに上手なのだが、 いつも写生だけは よくて銅賞で終わってしまっていた。 なぜなら彼女は最後の最後に実物と少し違った色を塗ったり そこに無い物を描いてしまうからだ。 でも今回はそれが効を奏した。 先生は 「Mは雲に金色を使っている。実際雲に金色の部分はないんだけど独創的な感じがして先生はすごいと思った」 と言った。 が、 今回Mちゃんは 新しく買ったばかりの金色の絵の具を試したくてうずうずしていて、 使う場所がないので仕方なく雲に塗っただけなのを一緒にいて同じ場所を描いていた私と友達は知っていた。 Mちゃんは先生に褒められてとても複雑そうな顔をしていた。笑 私は 「写生=風景や人物などを見たとおりに絵や文章にかくこと じゃないのかなぁ・・・」と思いつつ、 これからは独創性が大事なんだ と子どもながらに思った。 昔から絵は苦手なんだよなぁ・・・ といつも思っていましたが、 よく考えてみると小学校まではまだマシだったかもしれません。 牛と消防車を除いて・・・ そんな絵心満載のもんご-画伯が最近描いた絵は コチラ↓ 例のごとく 首吊りの絵ではありません。<(; ^ ―^) もしこの絵が気になってくださった方 この絵に関する過去記事はコチラです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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