|
テーマ:映画館で観た映画(8570)
カテゴリ:洋画(わ行)
原題:Pecados de mi Padre 監督:ニコラス・エンテル 鑑賞劇場 : 横浜ブルク13 第7回ラテンビート映画祭 公式サイトはこちら。 2010年サンダンス国際映画祭ワールドシネマドキュメンタリー部門審査員賞ノミネート 2010年マイアミ映画祭審査員賞・観客賞 <概要> 少年セバスティアンが敬愛する父はコロンビア史上最大の犯罪者パブロ・エスコバルだった! 極悪非道の麻薬王として君臨し、1993年に殺害されたパブロ・エスコバルの実像に、残された息子が迫っていく。 父の死の直後に祖国を去り、アルゼンチンで身元を隠しながら暮らしていたセバスティアンは、30歳を過ぎて密かにコロンビアに帰国。 父に殺された政治家の遺族と対面する。果たして血塗られた暴力の歴史に和解はもたらされるのか? 写真や手紙、ビデオなど、豊富な資料を元にパブロ・エスコバルの真実に迫った衝撃のドキュメンタリー。 (公式サイトより) <感想> ドキュメンタリーですし、内容からして残虐なの? って想像してしまい、 鑑賞を迷いましたが思い切って行きました。 パブロ・エスコバルについて コロンビアの麻薬戦争についてはご存知の方も多いと思います。 エスコバルについても 略歴読んだだけでももう名だたる極悪人ということで、 血で血を洗う抗争が国内で起こる。 そしてエスコバルが殺害されたあと、残された家族に対しても、敵対勢力からの殺害予告が相次ぎ、妻子は国外逃亡を余儀なくされる。 そのエスコバルの息子、フアン・パブロ・エスコバル氏は、父殺害後にセバスティアン・マロキンと改名し身元を隠していたが、現在はアルゼンチンで建築家として暮らしている。氏は、父親が殺害した政治家たちの子孫を訪ねて謝罪し、交流を持っているという。 通常であれば、敬愛する身内を殺害されたならば、復讐したいという気持ちが起こるのは 当然であるところ。 しかしながらセバスティアンはそれをしない人生を選んだ。 ごく身近な人間が悪に手を染める。 ましてやそれが家族であれば、その影響を受けるのは必至と考えるところなのですが、彼はそうではなかった。 もちろん麻薬王の父親と同居している時期はあっただろうが、それでも父とは真逆の道を行くというところに、セバスティアンの並々ならぬ意思を感じる。 そしてそれを可能にしたのは、彼の母親、つまりエスコバルの妻の方針もあっただろう。 エスコバルの命が狙われるようになってからは恐らくは別居期間が多く、それがセバスティアンの思春期と重なっていたことが幸いしたのかもしれない。 多感な時期に、悪を身近に感じても、それに染まらない勇気です。 そしてこの映画で印象に残るのはやはり、セバスティアンが、父親が殺害した政敵の遺族に対面するシーンである。 大統領候補ルイス・カルロス・ガランと司法大臣ロドリゴ・ララ・ボニラの子息たちだって恐らくはセバスティアンとほぼ同世代のはず。 歳月は過ぎて、その彼らが成人し、亡き父親たちの志を継いでいる。 彼らにとっては愛する父を奪った敵の息子ということで、(たぶんだけど)生涯相容れない関係ではなかったろうか。 それがこうして、セバスティアンからの心ある申し出の元、一堂に会するなどということを果たして考えたことはあっただろうか。 夢で終わるはずのことが今、目の前にある。 セバスティアンの取り組みに対しては、恐らく反対意見や、「やらせ」なんじゃないか? という見方があったとしてもおかしくはないけれど、 でも、これが彼の真の声であると信じたい。 ララの息子が、セバスティアンの手紙に心を動かされたと語る。 その表情に嘘偽りは感じられない。 コロンビアを始めとする関係諸国での生計維持にはもはや不可欠であり、今更敵対視することも無意味な麻薬ビジネスを禁止し根絶しようという取り組みは最早彼らの世代の政策にはなく、 時代は麻薬を合法化しようという流れになってしまっている。 むやみやたらに禁止したところで、殺し合いが続くだけであり、それであれば善悪の概念は超越したところで折り合いをつけていくしかないのだろう。 例えそれが、麻薬に対しての正しい臨み方ではないにしても。 ララの、そしてガランの息子たちは、父親たちが成し得なかったことを、犠牲を最小限にするべく彼らなりの手法で実現させようとしている。 無慈悲な殺し合いや、家族を失う苦しみを体験した彼らにとっては、それ以外の選択肢は考えられないのかもしれない。 無論彼らは、この席上でセバスティアンに言いたいことはたくさんあっただろう。 しかしこの「始めの一歩」を実現させようと思ったのは、恐らくはセバスティアンの言葉が彼らの胸に届いたから。 セバスティアンが、ずっと背負ってきた十字架の重さのことは言わずに、彼らに対して誠心誠意述べた言葉である。 「何をするにも僕ら家族は最後だった」と胸中を吐露するセバスティアン。 彼もまた十分苦しんだ。 そしてその苦しみに負けることなく遺族たちとの対話を続けていく。 その崇高な決意に胸を打たれる。 自分の苦しみを転嫁しない生き方でないと、過去の連鎖は乗り越えてはいけない。 そのことを実現させる難しさを改めて感じた作品でした。 今日の評価 : ★★★★ 4/5点 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[洋画(わ行)] カテゴリの最新記事
|