自分が立ち上がる という 感覚
今日は午前中雨で、家の中で本を読んでいたのです。午後になって晴れてきたので、外に出ての作業しなくちゃ・・・と思いつつ、身体がどうも重くて動いてくれない。まあ、じゃあしょうがないと 一日その本を続行して読んでおりました。で、その本 500Pを越える厚い伝奇ロマンのミステリー本で。いやあ、それが実につまらなかった!!(爆)作者はそのジャンルではたぶん実力派とされる、中堅どころの女性作家です。今までも何冊かは読んでいました。これは2002年出版されたもので、比丘尼伝説と不死伝説をめぐるミステリー話が展開するのですが。主人公が、無職で無趣味で世をすねきった30男なのですが、これがもう 一切の感情移入を拒む精神のあいまいさなのです。社会を拒み拒まれてドロップアウトした主人公のお話ってのは、めずらしくないですが、ここまで毅然としたところのないぼんやりとした性格もめずらしいなあ・・・。お話の構成はしっかりとしているし、肉付けとしての民間伝承部分のうんちくもそれなりに納得できるのですが。いかんせん 登場人物全員がどれもなんか、印象が薄いというか、生きてそこにいる感じがない。作者がキャラクターと役まわりを絵コンテで作り上げて、その役割をふって動かしているだけ・・・って感じなのです。作家が自分の中でそれぞれの人格が生きはじめるところまで、熟成させなかったのか、それとも今までもこんな感じのキャラクターしか作らなかった人だったのかな。小説の骨格がストーリーだとしたら、その肉付け 動きの自然さ、豊かさを表現するのはキャラクター 登場人物の魅力だと思うのです。登場人物に存在感と魅力がないことには どうにもならない。そういう意味で この作品は不出来なものと 私は評します。悪口書いているので 作品名は出さないです。ぺこ <(_ _)> 最近、自分の芯で感じることを そのまま自分で受け取ることが少しはできるようになってきたかな?と 時々思ったりします。人と話していても、本を読んでいても、それが真実であることと 真実でないこと その違いがはっきりわかる!と 感じることがあるのです。以前の私は、その自分の感覚 動かしてなかったから、人の言葉や視線を頼りに ものの価値付けしてきたんでしょうねえ。みな、自分で自分の感覚で生きること。自分を大切に、自分を信用して生きること。そういう風に出来ればいいのにね。。。。と 思います。