最近あきPが「会社行くごっこ」をしてるのがめちゃんこカワイイと思っちゃうデコです、こんにちわ。
透明のビニールバッグにTVリモコンやチョロQを詰めて
『あっちゃん、かいしゃー』とか言いながらダイニングテーブルの周りをクルクルまわってます。
『べんとー もったー』
『けーたい もったー』
『ちんちん もったー』
・・・
親の背中がばっちし見られてるねぃ!!汗
さて、このように真っ直ぐすくすくと育ってるあきPとは関係無い話。
人間って、生まれてくる時に、まぁ、神様のところに居る時に「あの人のところに行きたい」とか言ってお腹にやってくるとかいう話もありますが、基本自分の意志じゃないですよね。
(少なくとも私はいわゆる「神様云々」の記憶はないので)
死ぬ時も、自らその道を選ぶ人も居ますが中には失敗というか一命を取り留める人もいますし、基本それがいつ訪れるかとかもわからないので自分の意志じゃないですよね。
嫁にもらってくれる人が居るから妻になるわけで
子供ができたから親になるわけで
その子供にまた子供ができるからおばあさんになるわけですよね。
自分が思い描いて手に入れること、成就させることはたくさんあるんでしょうが、
その陰(というかむしろおおもと)にはたくさんの自分以外の人の心や偶然などが重なっているのでしょう。
それを呼び込むのもまたその人自身のもって生まれた運の強さだったり努力の賜物でもあるわけですが、そういう自分に備わった可能性的なものをtalentとかgiftとか英語では言ってすなわち「神様から授かったもの」という受け止め方をするわけで、
つまり自分以外の要素・偶然も神様からもらった必然も、どちらも他者から与えられるものだということにちょっと思いをはせてみたわけです。
まぁ勝気な人は『そういうの全部ひっくるめて自分の才能、天性!自分はそう生まれるべくして生まれた!!これぞ必然』と思うのでしょう。私もそういう時期ありました(笑)あの頃は若かった。
今は、特に子育てしてて思うんですよね、何でも自分の思うようにはならないし迷ったりすることも多いしとか。ちょっと以前にもここで呟いたことあったかもなんですが。
子育てしてて辛いことや大変に思うことっていっぱいあると思うんですが、それって自分が今まで構築してきたものが全部壊されるからじゃないですか。
常識とか「こうあるべき」とかいうものすべてが赤ちゃんには通用しないんですよね。
で、子供は、自分の思いが通らないとギャースギャース言いますがかと思えば怒られてもケロッとしたりあまつさえニタニタしてることも多くこちらの反応を楽しんでると言うか試してると言うか、、、
こんな時、親ばかりがイライラして『自分、何やってんだろ?』って思う時、ふと
あー、「子育て」って、「子が親を育ててる」んだなーって感じるんです。
こっちが教わってる方。だから大変なんだって。
もちろんその時の反応やらなんやらを見てまた子供は吸収し育っていくのでお互い様ではあるわけですが。
だから何?と言われればそれまでですが、
いついかなる状況でも良しにつけ悪しきにつけせっかく与えられた場所で立場で精一杯やるべきと思われることをやって、そう出来る毎日やかけがえのない一瞬に感謝して生きていくことはとても大切なことなんだなぁ~としみじみ感じたということなのです。
そしてそれと同時に、どーしてもムリ!ムチャ!みたいな時は
『私にはそんな能力はないのになんでこんな試練与えたんだよ、神様のバカー!』とか
『こーなったのは私のせいじゃないんだよー!』とか言って回り道してもいいんです。
確か聖書にも「与えられた試練がどーしてもムリだったら回り道してよし、神様は回り道も用意して下さっている!」って書いてあったし。
これも、頑張ることと同じくらい大切なことだと思う。
そうやって「頑張りすぎないこと、なるべくニュートラルに生きていくこと」って、一見難しそうだけど、でも「生かされてる」っていつも心のどこかに留めておくことが出来たらちょっと力を抜いて生活できそうですよね。
「生かされてる」なら、頑張りすぎても意味無いしね。
しかし、今夜はクリスマスの飾りつけを作成するために、母、起きて頑張る。むん!