現代版・海と毒薬 の続き
前回からの続きです。やっぱり遠藤周作氏とは関係ナイ話題です、あしからず、ゴメンナサイ。でもねぇ、海が汚れたのも食べ物が汚染されてるのも多分今に始まった事ではないのではないかと思う。いったん話が反れますけど、アスベスト でしたっけ?全国の体育館の塗装に使われてて、今健康被害とか深刻な問題になってるヤツです。当時はそんなに危ないモノであるということが一般に広く知られてなくてでも一部の人たちは知っていたけれどその危険性を隠蔽して使い続けていたとか言って、一時期かなりニュースになってましたょね。他の方法よりも利益があったのかもしれない。手順が楽だったのかもしれない。具体的にはわからないけれど、つまりそれを使った方が『良い』という人がいたからです。中国人だって、モヤシに漂白剤をかけたり山菜を錆びた土管に入れたりしない方が常識的にも衛生的にも『良い』ことは知っているはずです。だから中国人は自国の野菜を「毒菜」と言って買わないのだ。では何故それを作って、売るのか。それはその方が『売れる』からです。何も知らない日本人が「安いから」と買うからです。中国人農家にとって売れることは『良い』ことです。そして消費者にとって安いことは『良い』ことです。・・・何も知らぬは消費者のみなのですが・・・この世には世間一般的に『良い』とされることがあります。いわゆる常識とか良識とかというヤツです。たくさんの価値観の違う人間がいる中でみんながなるべく平等に生活できるようにと法律というものも定められています。それでも犯罪や一般的に『良くない』と思われるような問題が起こるのは、それがあることで『良い』と思う人間がいるからです。犯罪でも事件でも、絶対にこんなことがあっては許されない!と99,999人が思うようなことでもそれによって利益を得るたった1人が存在すればそれは起こりうる。つまりこの世に絶対的な悪も、絶対的な善もないのです。そして『知らない』ということがその存在を許している。だって、毒菜を毒菜だと知っていれば、毒菜は売れなくなり、売れないものは作られなくなるはずだから。言い換えれば、無知こそが食を歪めそして自分自身をも脅かしているということに他ならないのではないか。我々に今できることは一体何でしょうか?中国人を責めることでも、魚の養殖業者をつるし上げることでもありません。「知る」こと。そして『良くない』ものを買わないこと。『良くない』ことをする人に『それは良くないから止めるように』と言ってもそこに利益がある限り絶対に根絶することはありません。要は、『良くない』ことをしても利益があがらないこと、つまりその人たちにとって『良い』ことがないと理解させることが必要です。そしてそのためには、何よりもわたしたち消費者が賢くあらねばならない。そしてそのことがいずれは世界環境を改善することになるのではないかと期待したいのです。売れる魚を作るためには、抗生物質ではなく良い漁場を!そのためには無駄な建設や工場からの汚水をストップさせて美しい海を守る事に企業や国も力を注がざるを得ません。例えば、短絡的と言われるかもしれないがこのように少しずつでも変わっていけば世界はもっと美しくクリーンになるのではないか。そしてこの最初のきっかけになるのは、人々の意識、認識からなのではないか。今、急に世界がこの問題を騒ぎ始めたこと。これは「知る」という、まさに最初の一歩を踏み出したこと。他のニュースのように、これは一時的なニュースとして終わらせてはいけない。“自らが知り、認識し、そして全ての生産者にも認識させ、 『良い』ことの共通の価値観を世界中が共有すること。”たったこれだけのことで世界からは毒菜のみならず戦争や紛争、テロも全部なくなる気がするのにね。人間とは欲の多い罪深い生き物。でも、自らを知り自制することの出来る生き物でもある。世界に毒薬を投げ込み、毒の海と毒の畑を作るのも止めるのも我々次第。