神倉山
私の生まれ故郷・熊野には世界遺産にも登録されている熊野古道、そして熊野三山があります。神が宿るといわれる熊野の山々。平安時代には熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を中心とした熊野三山の信仰が高まり、皇室や貴族をはじめ武士や庶民階級にまで熊野詣(もうで)が流行しました。その様子は蟻が行列をなしているようだったので、「蟻の熊野詣」といわれたそうです。先日から一週間ほど実家に帰った際、故郷の神々に改めて感謝の祈りをささげてきました。帰る数日前に自宅でヘミシンクを聞いて瞑想中体外離脱した私は、故郷の神倉山(かみくらさん)で市内を一望しながら瞑想していました。そのヴィジョンもあり、今回は久々にその山に行くことにしました。熊野速玉大社の元宮である神倉神社は、市内を一望できる、神倉山に鎮座しています。ここには、陰陽をあらわすという巨大な岩「ゴトビキ岩」が祀られ、太陽神である、天照大神(あまてらすおおみかみ)を神祭としています。この神倉山では、毎年冬にお灯祭りという火祭りが行われ、男性のみが参加できる激しく荘厳なお祭りとしても知られています。私達は小さい頃から、女の子が神倉山に登るときには、「女性神である天照大神の気に障らないように気をつけなさい」と教えられてきました。頂上までいくには500段以上のかなり急な石段を登っていきます。中学校時代は陸上部だったので、この石段は毎日部活で駆け上がっていたのですが、久しぶりに登るとさすがに足がすくみました。山頂に着いてお参りしたあと、巨大な岩の下で瞑想をしました。街が一望でき、その向こうには太平洋も広がっています。宇宙いっぱいに広がる自分、そして、今ここにいる自分。生まれ育った街への感謝の気持ちを送りながら、ゴトビキ岩からもすごいエネルギーをいただきました。天照大神様の太陽のパワーでしょうか。頭のてっぺんから入ってくる宇宙エナジーと足元からの土地のパワーを体にめぐらせて、眉間から街全体へと広げるイメージをしました。自分の体も意識もどんどん広がっていきます。自由に駆け巡る意識の中で、自分自身がどんどん癒され、あたたかなエネルギーで満たされていくのを感じました。何にもない田舎がつまらなくて、早く都会に出たいと思っていた少女時代。今は本当に大好きで懐かしい故郷です。