秀吉と利休、相克の朝/小林 克巳
≪あらすじ≫戦国期、2人の天才がぶつかり合った。秀吉と利休、人たらしの天才と茶の湯の天才。彼らは数々の艱難辛苦を共に手を取り合い歩んできたはずだった。それがなぜ利休は、秀吉から切腹を命じられることになったのか? 本書は日本歴史上の謎のひとつ、利休の死の真相を従来言われている説からではなく、2人の心の葛藤から導き出すことに成功した決定的な著作である。 久しぶりの歴史物小説。『信長の棺』、『秀吉の枷』、『明智左馬助の恋』と加藤廣氏の本能寺三部作など最近では歴史の新説を書いた本がたまらなく面白い。この本もその一つ。この本の場合、さらに興味深い点がある。著者が何と現職の“ドクター”なのである。出版元の幻冬舎ルネッサンスという出版社は個人の自費出版をプロデュースしていて一般の人が持ってきた原稿を本にしてくれるらしい。著者がこの小説を書くきっかけは「多忙な医局時代、歴史小説を読むことが楽しみであったが、秀吉と利休の関係に疑問を感じていた。」からだそうだ。いいねぇ。かなりマニアな感じがするねぇ。私自身も以前から秀吉と利休の関係には納得のできる説明がされてこなかった気がしている。“秀吉の作った黄金の茶室について、利休はどのように思っていたのか?”→派手好きで成金趣味の秀吉と、何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すという利休の趣味はまったく異なっている。“あれほど信頼していた利休に、なぜ秀吉は切腹を命じたのか?”→安価の茶器類を高額で売り、私腹を肥やしたなどという説があるがどうも利休の人間像と合致していない。こんな疑問を解決してもらえる事を期待して読んでみました。小説の書き出しは、利休の切腹直前のシーンから始まる。そこで過去の秀吉との関係を回想する利休。さまざまな行き違いや、趣味の違いがある中でもお互いがお互いを認めている関係。趣味は異なるが決して相手のことは嫌いではない。秀吉も「利休ならどうするだろう?」と自分とは意見の異なる利休にあれやこれやと意見を求めてくる。しかし、秀吉の天下統一がほぼ完了した後、「すべてを自分の意のままにしたい」という欲望が秀吉の心に出てきたことで、利休との対立が始まる。こういう対立って現代社会の組織の中でもありうることだよな。多少、文書に素人臭さが残る感じはありましたが、著者の「秀吉と利休の関係」に対する思いは十分伝わってきました。「私も将来は自説を歴史小説として出版できたらいいな」そんな妄想とともに読んでいました。この本のオススメ度 ★★★★☆