南の島のマンホール ~ みんなのマンホールエキシビジョン・11 ~
みんなの マンホールエキシビジョン本日は いよいよ最終回沖縄篇ですぴっぴの自前写真そして香港 たま~に 沖縄の住人(笑)NORIちゃんの「とっておき!」が登場です那 覇 市 /ぴっぴでは ここらで 日本のマンホールの美しさの由来種明かしを・・・日本で いちばん最初に自治体オリジナルデザインマンホールカバーを設置したのが 沖縄県の那覇市時は 1977年 昭和52年のことでした魚の住める美しい水の環境をめざして沖縄の代表的な魚 グルクン(タカサゴ)がグルグルと描かれた このマンホールこそが日本の第一号 というわけです浦 添 市(うらそえし)/ぴっぴ浦添市のシンボル太陽の子(てだこ)をデザインしたもの西 原 町・琉球大学/ぴっぴ<琉球大学は 沖縄唯一の国立大学医学部附属病院がある 西原町の大学構内で撮ってまいりました宜 野 湾 市(ぎのわんし)/ぴっぴ今 移設問題で大揺れの普天間基地を抱えた 宜野湾市羽衣伝説にちなみ天女がまとっていた羽衣をデザインしたもの宜 野 湾 市(ぎのわんし)/ぴっぴ沖縄コンベンション劇場にて 撮影波をデザインした このマンホールカバーは沖縄の ほかの場所でもよく見かけます北 谷 町(ちゃたんちょう)/ぴっぴシーポート北谷で 数日前に撮ってまいりましたこの町も 面積の半分は米軍施設町の花 フィリソシンカ(マメ科の花)と 海をデザインしたもので左側に見える C.C.Z.の文字はコースタル・コミュニティ・ゾーンの略号読 谷 村(よみたんそん)/ぴっぴ琉球王国時代に活躍した「進貢船」のまわりを読谷村の伝統工芸「読谷花織」の文様でぐるりと囲んだデザイン前回の 今治市のとちょっと似てませんか?嘉 手 納 町(かでなちょう)/ぴっぴ町花 ハイビスカスと 甘藷(サツマイモ)が描かれています1605年、野國總管(のぐにそうかん)の手により中国福建省から甘藷が渡ってきたのが ここ嘉手納甘藷は 嘉手納から日本全国へと伝えられて行ったのだそうですちなみに嘉手納町も 町の全面積の83%が米軍基地本 部 町(もとぶちょう)/ぴっぴわれらが「うみばた塾長」お住まいの 海辺の町うみばたさんのお話によると海辺の町だから 錆びて赤茶色になってるのだそうですカツオ カンヒザクラ リュウキュウコノハズク コノハチョウをデザインしたものそういえば 塾長のご近所では そろそろ桜が見頃お花見に行きたい・・波 照 間 島(はてるまじま)/NORIちゃんこれ もう 大好きだよッ !香港からメールが届いたとき、歓声をあげました・・って、香港から『沖縄の島』のマンホールが届くというのも なんだか愉快なんだけど波照間島は、沖縄本島からさらに南へ 南へ 遠く 遠く 八重山諸島のちいさくて 南十字星が見える 島NORIちゃんが GPSで確認したところ正真正銘 日本最南端のマンホールだそうです去年の暮れからスタートした年末年始スペシャル● みんなの マンホールエキシビジョン ●東北から はじまった旅もきょうで おしまいです長い旅だったなぁお写真をお寄せくださった みなさまそして ご覧いただいた みなさま心から ありがとうございました ................................................................................................................................................................■ 香川 愛媛 広島へ ~ みんなのマンホールエキシビジョン・10 ~ ■ → 22日の日記へおはこびいただき ありがとうございます南の島の住人は海を越えて、身軽にお出かけ・・というのはなかなかむずかしくて今回、全国から 海外から届けてくださった たくさんのお写真にブログ友さんがお住まいの街の風景や 暮らす人 風の匂いを想像してはゆらゆら わくわく旅した気分に なれました感謝のきもちで いっぱいです