赤ん坊、ミルク、命
ひさしぶりの日記です。赤ん坊の泣き声に起こされて、ミルク、おむつ替えをしていたら目が冴えてしまった。徒然のままに。子育ては大変だ。妻の母乳の出が落ち着かないので、ミルク作り、ミルク授乳は僕の役目になっている。眠い目をこすり、お湯を沸かし、ミルクをつくり、人肌に冷ます。赤ん坊に声をかけながら、ほ乳瓶を赤ん坊の口に含ませる。赤ん坊は、力一杯、全身に力を込めて、乳首に吸い付く。小さい手をぎゅっと握りしめて、目に涙をいっぱい溜めて、力の限り、ミルクを飲み込む。のどをぐいぐい鳴らしながら、あっという間に飲み干してしまう。飲み終わって満足すると、安心し、眠りにつく。その姿を見て、僕も幸福というものを感じる。心が温かくなるのだ。赤ん坊にミルクを与えていると、赤ん坊は生命そのものだと思う。全身全霊を込めて、おなかがすいたことをアピールし、おなかがいっぱいになって、気持ちよくなると、眠りにつく。その姿は単純で、命そのもの、生命の源のような気さえする。病気の母を見舞った後なので、多少、おセンチになっているかもしれない。病気と必死に闘っている母の顔と、自分の赤ん坊の顔がダブる。ふたりとも懸命に生きようとしている。病気と闘い、抗いながら、命を紡いでいる母と、ただひたすら命を増幅させていくような子供と。ありかたは違うが、ふたりとも生きようとしている。懸命に。そして純粋に生きたいという強い気持ちが僕の胸に伝わってくる。生きたい、生かせてやりたい、孝行したい、喜ばせてやりたい。母が自分にくれた愛情を子供にも与えていきたい。共に生きていきたい。