すっきりライフ 合気道ドタバタ奮戦記
カテゴリ未分類14
合気道ドタバタ日記265
気付き77
杖道3
太極拳3
武術4
武具・my武具7
モモのおじさんの独り言55
すっきりライフ39
愛しのTK大0
全55件 (55件中 1-50件目)
1 2 >
大変なことになりました。熊本の皆様、言葉が出ません。どうかどうか・・・。
Apr 16, 2016
コメント(0)
もういろんな事が整理され、分別もあってしかるべき歳になっているのにまだ求めるものがあります。全く欲深です。でも今「何もいらない」この言葉が引っかかっています。矛盾しているようですが、何故か心地良く心にあります。
Sep 28, 2014
コメント(2)
昔、親父に貰った手巻きの懐中時計。子供の頃から、好きだった親父の懐中時計。秒針と数字の上が光る夜光塗料とストップウォッチが大好きでした。親父は「これは良い時計なんだぞ」と笑っていましたが、意味が分からず遊んでいました。でも、ついぞこすっても落としても怒られた記憶はありません。内心、さして高いものではないだろうと思っていました(笑)メーカー名もなく、動かなくなって久しいのですが、親父の形見、手にして遊んだ思い出、ずっしり重く手の納まり具合も良く、捨てられずにいましたが、先日近くの時計店に動くかどうか聞いてみました。中を開けて良いかと店主。見るとロンジンだと云います。スイスの有名メーカーです。初めて見る時計の中は、ギッシリ詰まった金の部品の中に、散りばめた赤いルビー(人工)。宝石箱のように綺麗で、感動ものでした。3~4日後に見積が出て、四万二千円也で修理を依頼しました。戦前、昭和15年頃のもので捨てると手に入らないそうです。昨夕、直ったと連絡が来ました。引取に行くと、「これは凄いですよ、時計屋や時計好きは欲しがりますよ。絶対持っていた方が良いです」と云われました。中の文字も職人技だとのことです。買った当時は、今のお金換算で40~50万円位したでしょうとのこと。今はもう、時計の半分から裏は古びて、文字盤の夜光塗料も飛んじゃった、只の古時計ですが、動いたのが嬉しくて…。ストップウォッチも動きます。下げ紐も新しく注文しました。早速、仏壇の親父に報告して、一人乾杯と相成りました。
Oct 24, 2013
いかんなあと思いながら段々疎遠になっています。ここでは勝手気ままに綴っていけば良いと思って始めたのですが・・・。こんな事でも書きながらまた復活をしようかと思っています。今、台風26号のニュースが報じられています。最大級とのこと。都内に住んでいても川が広いため風で電車は止まります。皆さんお気を付けて。
Oct 14, 2013
3月末で勤続40年となりました。全てそうですが終わってみればあっという間のこと。どう役に立ったか甚だ疑問を有するところですが、今もなお勤めているのは何らかの役に立っているということでしょう。枯れ木も山の賑わいと云ったところでしょうか。還暦を過ぎたら稽古三昧と昔は思っていましたが、なかなかそうも行かないのが現実ですね。とりあえず今年度は一所懸命働いてみます。
Apr 8, 2013
大雪、でも子供は大喜び。いつの時代も子供は雪が大好きです。夕方、息子は頑張って孫のために1Mほどの雪だるまを作って写真をパチリ。3~4日は持つかと思いきや、翌日帰って来たら頭が落ちていました。なんという事か・・・。
Jan 16, 2013
文化・・・何気ないTVの言葉「最近の若者の文化について」文化って何? 歴史が、長い年月の中で培われたものが文化というのではないでしょうか?文化、生命、どんどん軽くなっていくような気がします。
May 17, 2012
コメント(4)
月~金は会社で帰りが21時~22時、土日は12時~15時稽古指導で時折買い物、そんな毎日です。義父母と同居したため出かけての食事や旅行は全くなくなりました。それ以前に旅行という思いがかなり薄れていることに気がつきました。これが歳をとるということかと一人苦笑いです。
Feb 7, 2012
被災者の皆さんにとって今は不便の極みです。今、照明、エスカレーターなど各所で節電をしています。でも不便ではありません。今までってなんだったのかと思います。携帯電話などより便利になりましたと云いますが、不便だったのでしょうか。今が当たり前で育った人はそれが無くなると不便なのかも知れませんが、掃除機がなくても掃除はしてきました。そんなことをきちんと教え伝えておかないとと思います。便利って何だろう? もう一度考えたいものです。
Mar 28, 2011
おすすめ本です。「あくなき向上心」季刊「道」に連載されていましたが、先日亡くなられた「なぎなた」の澤田花江範士の本です。修行者として、指導者としての飾らない生の言葉が満載で、読みながら何度も頷いてしまいました。これを機に稽古、指導、日本人、日本の武道というものをもう一度見直してみようと思いました。開祖の話もちょっと出てきます。ご一読を。どう出版 1500円+税です。
Dec 21, 2010
1.人、酒を呑む。2.酒、人を呑む。3.酒、酒を呑む。という言葉が有りますが、最近3のパターンになりつつあります。昨日は私の課の送別会でしたが、これはちゃんと記憶は残っていました。最近は昔と違い、消えた記憶は帰ってこないのです。
Jun 24, 2010
先週、来年度の組織発表が有り、今年度末をもって私の定年退職が表記され、次いで4月からの再雇用が正式に公示されました。極端に収入減での再雇用ですが会社への恩返しという思いもあり続けるつもりです。定年退職後は合気道三昧と思っていましたが、たとえ1年でも役立つ間はと思います(^_^) 合気道三昧も捨てがたいのですが…。
Feb 25, 2010
映画「男たちの大和」をDVDで見ました。もう、周りはティッシュペーパーの山になってしまいました。体内の水分が随分抜けた気がします。戦争物はほとんど見ないのですが時折ふと見てしまいます。多くの若い命が散って行きましたが、今彼らがこの国この地球を見たらいったい何と思うのでしょうか。
Oct 16, 2009
いろんな方の死や事件を思うに付け、「起きて半畳寝て一畳」という言葉が思い浮かびます。一人の人間が必要な場所の広さです。それ以上でも以下でもありません。それ以上は欲と云うものなのでしょう。・・・まだまだ欲が捨てられません。
Aug 9, 2009
大原麗子さんが亡くなってしまいました。誰もが通る道とはいえ悲しい最後でした。思えば昔、網走番外地で牧場の娘役で馬が死んでいくシーンは今でも鮮明に覚えています。子供ながらに悲しくてかわいそうでたまりませんでした。それからあっという間に大女優。癒し系の彼女はみんなに愛されていましたが、家庭運には恵まれなかったようですね。思うところ沢山ですが、大好きだった彼女に先ずはご冥福をお祈りします。
Aug 7, 2009
昨日、久しぶりにYahooのメールを開いたのですが、なんと「あなたのYahoo!メールアドレススは利用停止されています」とでました。なんで??? 理由は過去4ヶ月ログインされていないからでした…。その上、メール、ファオルダ、添付ファイル、詳細設定の全てが消去されていました。復旧は不可。読み返そうと思っていた一樂さんや皆さんのメールはもうありません。この間のメールは全て送信者に返送されるとのことでした。もし、ご迷惑をお掛けしていましたらお許しください。でも、なんで4ヶ月なのでしょう??
Jun 30, 2009
金・土曜日にかけてやっと年度初めの会議が終了しました。百余名全国から集まっての会議でした。20分間のスピーチ。20数年前に声帯を痛めてからずっとやらなかった事ですが、今年はそんな役回りだったのと出来なかったままでもいかんと断らずにやってみました。パワーポイントを駆使して何とか終わりました。…ああ、しんど。
Apr 12, 2009
月並みというか、ありきたりというか、普通に使われる言葉ですが、今朝はそんな言葉が何故か身体の中にスーッと溶け込んで楽な気持ちになりました。このところいろいろなことがあり、思い余ったり、部分的にいきなり氷解したり、また新たなことが持ち上がったりの状況でした。この手のことはいつでも急にこちらの心の準備のないところへ相手構わず押し寄せて来るものです。大波小波に気持ちは常に不安定状態で、心の置き方が定まらなかったのですが、何故か今朝急にその言葉が浮かんで来ました。どんな場合でも心は自由。たとえ時間や病気、家族や周囲の束縛、どんな状況にあっても心は自分のもの。自由なのです。悩んでも苦しんでも良い。それでも心は自由なのです。そんな今朝のすっきりした心を持ち続けたいと思いますが、そう簡単にはいかないでしょう。そのことが難しいのは頭ではなく身体や心が実感として捕らえ沁みこんでいなければならないからです。今朝はちょっと良い感覚ではありました。全てを受け入れて「それが何なの?」といえる心の自由を持ちたいですね。
Nov 12, 2008
オリンピックはテレビでやっていると、どの種目でもやはり見入ってしまいます。柔道もしかりです(昔は積極的に見ていましたが…)。 ある試合で日本の選手が全く相手が崩れていないのに強引に足をかけ投げを打っていました。勿論相手は全く動じません。でも解説者はそれでいいのだと言っていました。技をかけることが大事なんだそうです。…聞き間違いかなあと今でも思っています。見ていると全体的に姑息な試合が多く嫌な気持ちになることもしばしば。見なきゃ良かったねと、居合わせた店のご主人と思わず…(苦笑)姑息な試合をするならきれいに負けて来いと子供の時に云われたことを思い出しました。ニュースの時間に有名な金メダリストの柔道家S氏(全日本かなんかの監督でしょうか良く分かりませんが)の談話が伝えられ「今の日本の柔道では勝てない。今後は子供の柔道も含めて変えていくことが必要」という内容のことを言っていました。柔道って外国のものだったんですね、さみしいですね。
Aug 19, 2008
最近、H系の書き込みがあとを断ちません。皆様も同じでしょうか。これも私の不徳の致すところでしょうが、毎日削除しながら虚しくなります。私のところに書き込んでも、お互い何の益にもならないのですが…。
Feb 26, 2008
コメント(6)
同じ事を聞いても、10人いれば10通りの受け取り方があります。受け手の心の状態で、怒りになったり、悲しみになったり、いろいろです。また、そのかげんも異なります。これからへの心配ごと、くよくよ、イライラ、みんな自分の心が作ります。…そう、私は心が弱いです。
Feb 10, 2008
個人のメールは、Webメールに切替えていましたが、たまたまOutlook Expressを使ってしまい、もう使わないだろうとアカウントを消したら、今までの受信メールがすべて消えてしまいました。サーバーへの設定を忘れていました…。
Oct 9, 2007
普通、年老いて行く中で種々なものを捨てて行き、自分にあったものに絞り込んで行くのでしょうが、未だ種々知りたくてたまりません。本なども次第に増えて行きます。「少し減らして図書館でも行ったら」と言われ、確かにそうだと思うのですが本は捨てられません。自分の理想とは全く違った、広く浅くの人生です。
Aug 30, 2007
あまりにも暑いので花火でうさばらし(^_^メ)恒例、江戸川の花火です。今年のテーマは「情熱!真夏のカーニバル」です。オープニングの5秒間で、10箇所から1000発の花火。総打ち上げ数は1万4000発。因みに観客数は約139万人だそうです。
Aug 20, 2007
最近どうも自分のブログが書けなくなっています。今までも何度も消したりしています。何を書いても気に入りません。どうも生来の気分屋が色濃くなったようです。
Jul 3, 2007
娘との話で、とかく自分は見えないもの。欠点=長所なのでそう考えれば良いという話になりました。小心者は注意深く、周りへの気遣いも出きる。 見栄っ張りは向上心が高い現れ。と考えれば良いということです。でも、それは娘の私への気遣い・慰めなんです。だって私はどう考えても小心者の、ええ格好しいの、おまけに怠け者。真に嫌な奴なんです。(苦笑)そこで疑問が湧きました。名をなした武術家で楽天的で物事にこだわらない大ざっぱな性格で、誰にでも好かれるような人っていたのでしょうか…?
Jun 29, 2007
いつのまにかアクセス数が30000件を超えていました。始めた当初には思いもよらない数です。皆様有難うございました。29991件めが大将さんでした。(^.^)
Jun 21, 2007
最近、通勤電車で感じるのは「間合い」といいますか相手との距離です。満員電車ではあきらめて斜めになったままで運ばれて行きますが、100%強の場合には困ります。新聞とか本とか携帯とかが身体に当る場合はいざ知らず、30センチ離れていても新聞などの縁がこちらに向いたりしていると、その部分がぴりぴりしてたまりません。最近その空間が少し広がって来ているような気がします。それ以上に男女問わず周りがどんどん鈍感になっているのが溜まりません。
Jun 4, 2007
コメント(16)
昨年、左足首に激痛が走ってからやっと良くなってきて、もう少し立てば正座も普通に出来そうな気配だったのですが、大晦日に物置でつまずいて正月は歩けませんでした。(おかげで正月太りです)未だ痛みが取れないので先週整形外科へ云ったところ親指の付け根の間接部が変形(以前かららしい)しており、そこを強く打ったため激痛と痛みが取れないとの診断でした。気を付けながら練習しなさいといわれても、キ座も出来ないのです。膝行なんてもってのほかです。千速一樂さんにはお気遣い戴き誠に申し訳なく思っています。暖かくなってきたら何とかなるのではと思っていますが、これも試練と思い稽古を変えてやっています。そのうち「合気上げ妄想過大症」とかの病名が付きそうですが…(笑)
Feb 2, 2007
足が痛い、時間もない・・・でも稽古したい。週一回じゃあなあ…。急に金持ちになって朝から晩まで稽古三昧ってなことにならないかな。いっそのこと道場に改築してしまおうか。なんて、この頃そんなことばかりが頭をよぎります。(苦笑)
Jan 25, 2007
コメント(8)
その昔「らしさ」ということを教わりました。そして「らしくあれ」と。いろんな「らしさ」があります。男らしさ、女らしさ、子供らしさ、学生らしさ、人間らしさ…。ここでの「らしさ」は強要されるものではありませんし、差別とか何とか理屈で論議するものではありません。つまり、人から言われたり人に聞いたりするものではなく、自分の心に問うものです。私はずっと「らしくあるべき」と思っていましたが、それは間違いでした。「べき」という言葉は云った時は気持ちが良いのですが、継続になると無理が生じます。そこに嘘が生まれます。(勿論、私に限ったことかも知れませんが)先ずは「…らしくありたい」と思うこと、思い続けることだと思います。年頭に当たりこの一年、まだまだ未熟ですが人間らしく、男らしく、武術家らしくありたいと思います。
Jan 16, 2007
今日アクセスカウンターが、20,000件を越えていたことに気が付きました。先日、「おお!10,000だ」と思ったばかりの思いだったのですが、これも一重に皆様のおかげです。やはり、訪問して戴くのは嬉しいことですし、カウンターがひとつの目安で、張り合いですよね。ただ内容が地味で面白みにかけているなあと常々思っていまして…。ちょっとその辺りが気掛かりになっています。今後とも皆様のブログを参考に努力したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
Dec 9, 2006
コメント(10)
生まれてすぐ我が家に捨てられていました。そのせいか、いまだに指しゃぶりが取れません。きように後の左足を両手で抱え、チュパチュパ音を立てながらしゃぶります。お気に入りの場所は私の胡座の中です。子供の頃は、アイヌ犬を飼っていましたので犬も大好きですが、今の我が家はこいつに翻弄されています。女房を怒鳴ろうものなら、遠くから飛んできて中に割って入り、止めてと云わんばかりに悲しげな声でなきます。仲裁は時の氏神、お前に預けようなどと言いながら喧嘩もおさまります。先日、女房と子供のお尻にあるアザ「蒙古ハン」の話を大声でしていましたら、すごい勢いでモモが飛んできました。暫し3人で顔を見合わせていましたが、わかりました。「蒙古ハン」が、モモには「モモ!ごはん」と聞こえたのです…。以上、本日は「ねこバカ」でした。
Oct 25, 2006
清琉館館長さんのブログで結婚記念日のコメントに、もうじき私もとキラクに書き込んでいましたら、なんと来月で30周年と言われてしまいました。実は、10周年を忘れていまして、20周年こそはと思いきやそれは昨日と云われ、密かに何とかせねば、30周年まではまだ間があるゆっくり考えようと思っていたのですが…。まさしく月日の経つのは夢幻の如く也です。とりあえず、頂きもののワイン「武道酒」(面白い名前で気に入っています)を飲まずに取っておこうと。いやいやこれだけではダメですね。ああ聞かなければ良かった!ってそう云う話でもなし…。どうしたものでしょう…!でもボケて結婚記念日を忘れたのではありませんよ、初めから覚えていないのです。
Oct 16, 2006
武術とスポーツの違いはルールの有無だと思いますが、死と対峙して生を求めるのが武術、生の中で生きているのがスポーツと感じました。いかがでしょうか。勿論それは価値観の違いで、どっちが良いとか悪いとかではありませんので、念のため。
Oct 1, 2006
「武士道というは死ぬことと見つけたり」で有名ですが、三島由紀夫はこれを生きることへの方便であることを喝破しました。武士として、男としての判断基準を死としたのです。生きることに執着すると、見苦しい生き様になります。あれこれ苦悩し策を労するなら、死んで良しと割り切りそこからものを見よと言うのです。今私たちは死と言うものに無頓着になって来たようです。こんなに命が軽くなった時代ってあったのでしょうか。全ての判断基準が、最大の価値が命であった時代は何処に…。生きているのは当り前でしょうか。明日、今日と同じように目覚めると言うのは誰が決めたのでしょう。平均寿命とは必ず生きられる年齢ではありません。明日も生きていると云う保証は誰にもないのです。全て幻影であり、思い込みです。今しか無いのです。死をもっと重く自分に置き換えて生きたいものです。武術も修行はとても長いのですが、今の積み重ねです。今、生きていて出来ることをやる。もっと貪欲に見て感じ取っていきたいと思います。
Sep 29, 2006
大股で闊歩する人、小さく歩く人、左右にぶれる人、上下にぶれる人。いろいろな方がいますが、多くはあまり考えずに歩いているのが実態でしょう。でも、その立ち方や歩き方で骨盤が外に開いたりして身体に悪影響を及ぼすこともあるようです。実は、今のような我々の歩き方は、明治維新の頃にフランス等の軍隊から取り入れたものです。行進に都合の良い歩き方なのです。それまでの日本には、今ようなの歩き方はありませんでした。日本人に行進を教えるのは一苦労だったそうです。今、若い人が浴衣や着物ですぐに着崩れを起こすのは、着慣れないせいもありますが、西洋の歩き方だからです。俗に言われるナンバ歩きとは違って、日本人はあまり腕を振って歩くと言うことはしなかったようです。膝行もさることながら、日本人は手の位置や所作を大事にします。能や日舞にも見られるように、動かない美しさやそこにあるべくしてあるような機能を大切にします。動き方や歩き方もその国の文化なのです。武術を始めて体験した時は、その動きに違和感があります。日常とは違った筋肉の痛み、違った疲れを感じますよね。それは日常の動作が、日本人にあった生活の動きではなく、西洋風の歩き方や椅子での生活などに馴染んでしまって、あたかもそれが人間としての動きであると思い込んでしまっているためではないでしょうか。武術を志す者としては、その日常の動きを否定することから始めねばならないのだと思います。もとより先人の動きは、西洋文化での動き以前の動きなのですから…。
Sep 27, 2006
PCに慣れれば慣れるほど漢字を忘れて行きますよね。脳年齢テストなんかやった日にはもう・・・。みんなバカになっているのです。(バカにさせられているのです)漢字が書けなくなる理由は簡単です。PCの普及によって文字を各作業が無くなったからです。…プラス老化(T_T)キーボードで文字を書いているつもりでも、作業は「書く」のではなく「打つ」なのです。日本の文字はなぞらないと書けないのです。本離れが起きています。それを知って本は読むから見るに転じています。お母さんの横で声を出して読む姿はもう無いでしょう。計算は電卓がやってくれます・・・。これでまで優秀とされていた日本人の頭脳は既に無く、かつてのイメージが日本人の中に宿っているだけなのです。いま尚、更に退化しているのです。問題は大人もさることながら子供たちです。インドの子供たちの九九は二桁×二桁だと言うのに、日本の子供たちの学力はガタ落ちで九九も出来ない子もいるとか。これはもう政治家・教育者が揃って、誰かの思惑をもって日本をダメにしているとしか思えません。日本の学業は古来より「読み書きそろばん」と言われてきました。良いことは捨ててはなりません。もう一度、日本の教育、体育、食育を見直さなければならない時期に来ていると思います。体育における、戦後のスポーツ一辺倒のあり方も含めて・・・。
Sep 19, 2006
古来より人間の最大の恐怖は死と言われています。人間誕生からおそらく未来も人の最大の関心事は死なのです。先だって、偶然テレビで小児病棟でガンや難病と闘う子供たちを見ました。いろんなドラマがありましたが、みんな6歳いやもっと前から自分の死と向き合って生きてきたのです。けなげに文句もいわずに耐えていました。この子達の願いは、今度生まれてくる時は元気な身体で生まれてきたいということだけです。元気な私達はいろんなものを欲しがります。そして不満を抱きます。足るを知ることが必要ですね。そして、命ってなんでしょう?この子達はみな明るく振舞っています。自分の中で沈むことはあってもなぜか他人に当りません。それは辛さ悲しみを肌で知っているからでしょう。逆に一所懸命周りをあたたかくします。いろいろ考えさせられました。この世でただひとつの真実は死です。生を受けた以上間違いなく死は来ます。その死に真っ直ぐ向き合って生きるものは強くなるのでしょう。最も死が身近にあった武術家。立場は違っても武術を志す者は常に命と向き合っていなければならないのでは…。命を大切にそして質素に生きて行きたいと思います。
Jul 19, 2006
ある本にて、大昔縄文の頃はその日に必要な食べ物はその日に収穫していました。ところがある日、怠け者が出てきて明日の分まで収穫してしまいました。やがて倉を持つようになり、貧富の差とそれを盗もうとする泥棒が出てきましたと続くのですが・・・。さあ!怠け者はどっち???ものの見方、価値観はひとつではないのですね。
Jul 18, 2006
我が家の愛娘モモです。会社から帰ると玄関まで迎えにきます。階段の上り下りはいつも駆け抜けるのが常ですが、ある日階段を歩いて上るモモの頭が妙に上下しているので、女房に聞くと別に手足に問題はありません。まあ良いかとそのままでしたが、またぴょこたん、ぴょこたんと上っていきます。良く見ると、左手と左足を同時に上げて階段一段上がり、次いで右手右足を引き付けています…。こ、これって猫の歩き方でしたっけ???近年話題のナンバ歩きでしょうか?(苦笑)
Jan 28, 2006
新しいPCが来ました(^_^)もう心配ないでしょう。時間があるときにセットしようと思います。不安状態からいきなり余裕状態へ変化。未熟者です(^^ゞ
Jan 16, 2006
明けましておめでとうございます。今年も背伸びせずに参ります。修行、進化 好きな言葉です。派手さの無いブログですが、今年も宜しくお願い致します。
Dec 31, 2005
一、武士道に於ておくれを取り申すまじき事。一、主君に御用に立つべき事。一、親に孝行仕るべき事。一、大慈悲を起し人のためになるべき事。賛否両論あるでしょうが、宮仕え(サラリーマン)のあるべき姿としては的を射ていると思います。面白いのは、葉隠れの中に最近の若者はなっていない。修行もせずに流行を追いかけチャラチャラしてだらしが無いというようなことが書かれています。よっぽど目に余ったのでしょう。そう云えば、エジプトのピラミッドの古代文字にも「最近の若者は…」と書かれています。そして、その時の若者はまた年を経て「最近の若者は…」。未来永劫、繰り返されて行くのです。…心せねば(^_^)
Dec 28, 2005
今、サンダルやスリッパの功罪が問われ、鼻緒の付いた履物つまり下駄・草履が見直されているそうです。下駄は鼻緒を足の指で掴むことで、土踏まずのアーチができて来たり良いことが多く。サンダル・スリッパは無意識で脱げないように爪先を上げることで、身体の軸(重心)を後ろに持っていくため、絶えず筋肉が緊張し疲れるのだとTVで言っていました。私は今も下駄や雪駄を良く履いています。子供の頃から好きで、高下駄を履いて得意になったりした時期もありました。下駄の音が好きです。カランコロンと良い音がすると、歩いていて嬉しくなります。また、カッカッカッと鳴らしての急ぎ足や、そっと小さく音を殺しての忍足。足の操作と思いがあって来るのです。下駄は楽しいですよ(^.^)千速 一樂さんのブログではこう書かれていました。「草履や下駄を履いていれば現代でも古流の歩き方をしなければちゃんと歩けないんです。草履や下駄には踵の部分がありませんでしょう?無いという事は草履や下駄は足の裏全体を使って歩くようにできているんです。草履や下駄を引きずって歩く事はありませんから!」武術では足の裏全体を使って歩くことが大事ですよと言うコメントの一部です。健康、美容、武術どれをとっても良いようですね。是非お試しください。(^.^)
Dec 20, 2005
白ヒツジさんの言う通りやはりおかしいです。日曜日電源入れると、沢山のメッセージが出てきて、メーカーに問い合わせ。何もせずにそんな状態になるのはオカシイと云われましたが、オカシイといわれても・・・。先月リカバリーしたばかりなのに、再度やり直し!この時期に年賀状ソフトも全て無くなり、放心状態です。
Dec 19, 2005
日常の動きが必ずしも良いのではないと自覚することから始まります。でも、何十年もなんの疑問を持たずに過ごして来たのですから、そう云われても困りますよね。自分で動いているつもりなのに「違う、そうじゃない」とか、「全然動いていない」とか云われたことは誰しも経験済です。これは、頭で理解したつもりが身体がそう動いていないのです。もちろん理解度の問題もありますが、武術的に動かなければいけないのに、日常的な筋肉を使って動いてしまうからです。日常では意識しないものも武術的には意識がひつようです。例えば、立つ事の難しさ。全身で立つ作業をしていますが、それを感じることも意識することもありません。でもそれが大事なことなのです。ロボットに立ったり、歩いたり、走ったりさせることがどんなに難しいかは、ご存知だと思います。それを我々は何の意識も無く行っています。非常に繊細な反応を身体の全身で行っているからです。明治初期にフランスやドイツの軍隊がもたらした「気を付け」も健康的にもよい姿勢とはいえません。武術的には何の価値もありません。そんな姿勢や動作が沢山日常的な動きで使われています。そんなことを意識することが大切なのです。筋肉による動き(力)も武術的には排除しなければなりません。筋肉マンになる必要は無いのです。筋肉では動けなくなります。大きな相手、力の強い相手にどう立ち向かうかが武術の起こりでしょうから。老いて益々強さを増す武術。魅力的ですね!そんな武術的な動きを目指したいのです。
Dec 16, 2005
水之巻にて、1.足づかいの事足のはこびやうの事、つまさきを少しうけて、きびすをつよく踏むべし。足づかいは、ことによりて大小・遅速はありとも、常にあゆむがごとし。(以下略)とあります。今、この足使いを現代剣道や古流の方たちがどう捕らえているのか興味はあるのですが、残念ながら私には全く解りません。立つ、歩くなど、ともすれば何も感じず、惰性になりがちな日常の動きです。でも、この重心の移動、武術にとってはくせものですよね。踵、足裏全体、膝、の使い。これは私の一生のテーマです。ちょっと話がずれますが、足裏、踵、重心というテーマで考えると、今私は北海道育ちが幸いしているのかなと思います。第一は、スキーやスピードスケートです。この蹴りは氷や雪を捉えて足裏全体で蹴ります。意識は踵です。大地を捉えて最大の運動エネルギーに変えます。第二は、雪や氷での歩き方です。雪が凍ってツルツルの路面、雪が溶けシャーベット状の路面。また、湖の割れそうな薄い氷の上を歩く。という場合、通常良しとされている後足先で蹴って踵から着地と云う歩行ではダメなのです。靴のせいも多分にありますが、子供の頃は大人の観光客が転ぶのが不思議でならなかったものです。今思うと、爪先では蹴らずに足裏全体を均等に使っていました。それでいて、前足を先に置いてから後足を引っ張る悪しき歩行ではなく、足首、膝を柔かく使って重心移動をしていました。そういう場所では、爪先で蹴ってはダメなのです。中心軸を立て、足裏全体で確かめながら、下半身、踵、足裏等十分に使って、いえ、身体全部のセンサーを使って自由に歩いていました。それを今、道場で説明してもなかなか解ってやってくれる人は少ないのです。畳の上だけでの理解、稽古ではなく、生活を通じての身体の感覚を養うことが大事なんだと最近強く思います。
Dec 13, 2005
武蔵が五輪の書を書くにあたって心構えを書いている中に、「仏法、儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをももちひず」と言っています。自分の体験して実証された自分の言葉で書くんだと宣言しています。経験に裏打ちされていないものは絵空事。自分の体験によって確信した真実のみを書きたかったのです。飛躍しますが、これをブログに置き換えてもその通りですね。ものを書くとどうしても自分を美化したり、見栄を張ったりしがちです。人の言葉を借りたものは、読んでいて迫力にかけます。どうしても内容との距離を感じます。また、このことは文章に限らず稽古にも云える事ですね。これはこうだとかちょっと本を読めばいくらでも云えますが、自分が出来ないことを人にやれと言っても無理です。私も武術は出来てなんぼ、出来ないことは云わないを心に置いています。
Dec 8, 2005
どうも私は教えすぎます。何とか上手くなって欲しい。これが出来たらきっともっと楽しくなれる。と思ってのことなのですが・・・。でも、コップに入るスペースがなければ、水を注いでも零れ落ちるだけです。<見取る力>カナダの北のある部落の民には、教える教わると云う概念がないそうです。見れば出来てしまうのです。日本の昔の職人たちも高い能力を持っていました。だから、その技を見せないし、道具も見せなかったのです。見ると出来てしまうからです。そう云えば、昔私の家は小さな寿司屋を営んでおりました。子供の頃から握ったり洗ったりみようみまねでやらせてもらっていましたが、ある日見習いの少年(私より上で高校出たてくらいでしょうか)が、他の人に聞いたそれも違ったことをやっていたのでしょう。板さんが怒って「馬鹿野郎、てめえは見習いだろう!見習ってものは見て習うもんだ」「俺がわざわざ見せているのに毎日どこを見てやがる!」と云って、やおら包丁の背で頭を叩きました。うっとしゃがみこむぐらいの強さで! 見習の彼は、俺が馬鹿なんだと泣きじゃくっていたのを思い出しました。もう40年以上も前の話です。小さな店の話ですが厳しいですよね。でも我々は時代であれば命をかけて稽古をしていたはずです。負けると死ぬのですから。もっと見取る能力と真剣さを身に付けたいものです。言葉に出来ない身体の使い方もあり、言葉で伝える能力に欠けている私は、やって見せるしかない。と思いを新たに精進するつもりです。見取る力をつけてあげるのも教えること。おそらく一番の教えは、教えないことなのでしょうね。
Dec 2, 2005