テーマ:海外生活(7775)
カテゴリ:英国
エジンバラはヨーロッパでも有数のスピリチュアルな街である、らしい。
なんでもスピリチュアルなパワーの流れが交差するところに位置している、という。 スピリチュアル度というものが測れるとして、それをアルコール度数にたとえれば、まあロンドンがワイン程度としたら、もうスコッチウイスキーぐらい?はある、と思う。 ベストセラーとなった「ダビンチ・コード」で有名となったRoslyn Chapelがあるのも、このエジンバラだ。 本を読んでもらうとわかるが、ここは昔からの聖地で、チャペル内には謎めいた文字が沢山彫りこまれており、その意味はいまだに解明されていない、という。 ちなみにクローン羊のドリーで有名になった研究所も、このチャペルのすぐ近くにある。 ま、これはスピリチュアルとは関係ないが。 エジンバラを訪れる者にのしかかる、何やら重苦しい気分は、このスピリチュアルなパワーのせいなのか。 中世の街並みがそのまま残るこの街には、いまだ多くのゴーストが住み、そしてその頭上を覆う重苦しい空には魔女たちが飛び交っている。 そういう感じだ。 わかっていただけるだろうか? 映画「ハリー・ポッター」の原作者J.K.ローリングさんもこの街の人で、彼女がハリー・ポッターを書いたというカフェなども、市内のいたるところに残っているが、実際、彼女の書いた世界は、このエジンバラの雰囲気そのものなのだ。 魔女と魔法使い、お城のような寄宿学校、そしてそこに住むゴーストたち・・・。「殆ど首無しニック」とか「血みどろ男爵」とかのゴーストがホグワーツのそこかしこにうろうろしていて、新入生たちを驚かせるが、基本的には悪さをしない。 そういうゴーストたちが街のいたるところにいるので、「ゴースト・ツアー」というのが観光の目玉になっていたりする。 このツアー、街のいろいろな場所をガイドと歩き回るだけなのだが、ガイドが語るゴーストの話は、身の毛もよだつ話ばかりで、シンプルなツアーの割にはあとあとまで強烈な印象として残っている。 ちなみに娘の通っていた中学校にも「Green Lady」とよばれるゴーストがちゃんといた。 その昔、古い校舎の塔の中から発見された女性の白骨遺体(夫に殺されたらしい)が緑色のドレスをまとっていたことから、グリーン・レディと呼ばれているのだが、まあ、これも日本にもよくある「学校の怪談」(トイレの花子さんとか)に近いものだろうが、悪さをしたりはしない。 また中世には恐ろしい魔女狩りも行われた。 魔女裁判にかけられたら最後、彼女にのこされた道は、魔女ということを認めて苦痛のない死に方をするか、あくまでも魔女ではないことを主張して火あぶりに処せられるか、2つにひとつだったという。 最後の魔女裁判は18世紀のことであるので、今となっては魔女たちも、ハロウィーンの頃になると空を飛び回るぐらいが関の山。 でも、10月末ごろの墨を流したように真っ暗なエジンバラの空には、いかにも魔女が飛んでいそうな感じがするんである。 とにかくエジンバラというのは、そんなふうに異界の生き物たちと人間とが共存し、また過去と現在、そして空想と現実とが同じ価値をもって同居している街、というのが1年住んでみての実感だ。 あの街にいると誰しも目に見えるもの=マテリアルの世界を超えて、目に見えない世界=スピリチュアルの世界へと足を踏み入れる感じがする。 ゴーストも魔女も、あるいはネッシーも妖精も、そしてドラゴンも、現実=マテリアルの世界には存在しない。けれども人々はあたかも彼らが存在するかのようにふるまい、彼らとともに暮らし、彼らから日々の糧を得てすらいるのだ。 ちなみにネッシーの話だが、最初の写真を撮影した人が、怪獣出現は全くのウソだったと死ぬ前に白状してしまった。さんざん騒がせておいて何を今更、とも思うが、しかし考えようによっては、何の変哲もないネス湖をスコットランド観光の目玉としてしまったわけで、彼の残した経済的功績ははかりしれない。 サーの称号をもらってもいいぐらいである。 それにしても何もないところに伝説を作り上げ、それを観光資源としてしまうあたり、いかにもスコットランド的で面白い。 常にマテリアルリスティックなものばかり求め、見えないものは見ようとしない即物的な昨今の日本人とは、全く対照的なメンタリティーだ。 日本人も、ちょっと見習って、村おこしなんぞにこの手法をお借りするってのはどうかしらん? でもきっと、同じことでも日本人の手にかかると、あざとい商売に変わってしまうんだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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