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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2009.01.28
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カテゴリ:育児
この前、日本人のお母さんとアメリカ人のお父さんを持つ友人(例の玄関ベアの所有者)が、「今度おにぎりの握り方を教えて欲しい」と言った。彼女は日本にも何年か住んだことがあり、日本語も完璧ではないが話せるし言っていることも大体分かる。だから、私も彼女のことをアメリカ人だとは思っていなくて、彼女がおにぎりの握り方を握れないということを知って、かなり意外だった。

Children's Museumの日本の家での折り紙体験コーナーでアメリカ人が折り紙を折っているのを見ると、何かが違う。折り目の付け方だとか、きちんと隅を揃えて折るといった動作が、彼らにはなかなか上手に出来ない。もちろん、折り紙に興味を持って経験を積んだ人はちゃんと出来るのだが。

おにぎりを握ることも、折り紙を折ることも、きっと母の手つきを見ながら育つことで自然に出来るようになったのだろうけれど、いったいどれだけの期間、どれだけの頻度でその姿を見れば出来るようになるのだろう。母はお弁当を毎日持たせてくれたけれど、毎日おにぎりだったわけではなく、運動会や家族で出かける時だけだったのような気がするし、別に母が私に手取り足取り教えてくれた記憶もない。

そうやって考えてみると、箸を使うことも、そして、箸や茶碗は自分専用のものがあるということも、家庭の中で、日本の文化として、自然に身につけて行くことなのである。(義母の家にはいちおう箸があるのだが、これは誰の箸・・・といった概念は全くない。フォークやナイフやスプーンと同じ扱い。それで、初めて日本では自分専用の箸や茶碗があることに気が付いたのだ)

そして、私にとっては、子供たちに日本語を習得させるよりも、その、日本人にとっては「当たり前」だけれど、海外において、特に夫婦ともに日本人ではない家庭において身につけさせるにはかなり努力のいるこうしたことを伝えて行くことの方がずっと大事に思えるのである。





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最終更新日  2009.01.29 08:56:43
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