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テーマ:本日の1冊(3693)
カテゴリ:本
久しぶりにいい物語を読んだなあ、という実感がある。
熱心に介護する金髪兄ちゃんの姿に純粋に感動する、というのとは、 ちょっと違う。 無論、そういう部分も無きにしも非ずだが、それよりは、 何かを全部飲み下すような、圧倒的な力を感じているのだ。 この物語には、さまざまな対極が提示されている。 己の社会的な不甲斐なさに歯ぎしりする焦燥感と、 祖母の介護から訪れる絶対的な自己肯定。 さらに、傍観者であり続けることを選択する親族への、絶対的な否定。 誰よりも「血」の繋がりを愛しく思いながら、同時に湧き上がる嫌悪感。 その他いろいろ、ともかく対比が多いように思う。 対比するということは、まがりなりにも自分の価値観で「○」と「×」を 付けていくということだ。 その○と×をつける基準は、ここでは自分の体験というそれだけのものなのだが、 それを基準にするのだと決めるには、腹を括る必要がある。 実際は、基準といっても、他者からの影響なしに自分が存在するはずもないから、 見極めようもない。が、それにはあまり意味がない。 自分の体験という強度(この言葉を使うと宮台真司を思い出す)を、 信じるか信じないか、ということなんだと思う。 印象深かったのは、旅先で祖母の大けがを知った「俺」が、 祖母の死を思って、飛行機の中で先祖に向かって投げつける言葉だ。 「俺の心からの祈りを力添え出来ぬほど霊力なき先祖など祀るに値せぬ」 で始まる、強烈な長文だ。 無意識にせよ、ご先祖を敬うことを当たり前にしている人が多いと思う。 お蔭様とか、おすがりの世界だ。 だから、とんでもない災厄のとき「神様、仏様、ご先祖様」となる。 ここではそれが逆転する。 とんでもない呪詛の言葉を先祖にぶつけるのだ。 ご先祖の血が今の自分を作っているともいえるけれども、 その逆もありなのではないか。 ご先祖には見出せないが、今の自分の中には確実に存在する魂。 今、自分にこの血があるのなら、ご先祖にもその血がある。 血の、逆流だ。 呪いこそ言祝ぎ、なのだ。 逆転の渦中にこそ、何かを貫くような中心がある。 もしかしたら。 これから、ますます、逆転する世の中になるのかもしれない。 「介護入門」とは「生き方サバイバル入門」なのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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