|
カテゴリ:本
3ヶ月前、これを原作にした映画『パヒューム』を見逃した。
中身はどうあれ、観たい作品である。 小説が発表されて20年、ジュースキントには、絶えず映画化の話があったらしいが、 絶えず断り続けてきたらしい。 ここに来てなにゆえ? 監督のトム・ティクヴァは『ラン・ローラ・ラン』を撮った人。 確かにこの映画は面白かった。画期的なアイデアがいっぱいだったし。 うーむ、気になるなあ。 原作について言えば、これはアンチキリストがテーマだろう。 キリストがいてこそのアンチキリストであり、その逆もいえる。 アンチキリストの存在あってこそ、キリストの正当性が立派に謳えるわけだ。 だからこそ、主人公グルヌイユも、自身を「神」として、君臨させることができた。 彼の特異な才能によって生まれた香水には、その力がある。 善も悪も常識も孤独もどうでもいい人間が神になって、それでどうなるか。 愛すらも作り出せる力を持ち、その気になれば人類の王として存在することも できるのだが、最後の最後に、小説は、自己をめぐる究極へとなだれ込んでいく。 誰とも世界を共有していない人間の、愛と悪意が交差する結末。 一体誰が一番のアンチキリストなのかも、考えさせれる。 二元論でありがちな「正義が勝つ」、または「和解」とか「救い」という 落としどころにもっていかないのが、この小説のイイところだ。 人によってはあれが「救い」だと思うかもしれないけれど。 生きるために生きる(生き物を殺して食べて自分が生きる)とか、 何かの価値を信じて生きる(なんらかの信念に従って生きる)とか、 人間の本来性として説かれてきたことは色々あるだろう。 いわばこれは、欲望によって生きる、と言い換えてもいい。 『香水』は、自己愛的な極北としての欲望の物語なのだ。 プロセスにおいては、なんら疑問や矛盾を感じずに欲望をまっとうしてきたグルヌイユ。 神とは、欲望の先端なのだ。 ここで示されたおぞましい欲望の姿は、そのまま人間の歴史であろうし、 自分自身の姿ともいえる。 ひとつの側面、ぐらいの言い方が妥当ではあるだろう。 もう一点、この小説の面白さは、舞台となっている18世紀のフランスの描写だ。 ロココの宮廷文化が華咲く世界や、科学・啓蒙の世界が、ちらりちらり見え隠れして、 グルヌイユが闊歩する香りの道程が、大変ににぎやかに艶やかに迫ってくるのだ。 映画のDVDは9月発売らしい。 欲望の先端に私も立っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[本] カテゴリの最新記事
|