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カテゴリ:田舎生活
田尻総合支所円形庁舎、お別れ会、経緯説明
4月16日、快晴、桜はこの日に合わせるように3分から5分咲き 百花繚乱のこの日 田尻総合支所円形庁舎の解体に伴う、お別れ会を開催しました。 午後1時過ぎ、参加者が集まってきます。
午後1時半 この後全員で田尻庁舎をバックに記念撮影 当方は他のメンバーと横幕を持って、2階のベランダへ 全体の記念写真はプロが撮影 とてもいい写真となったと思います。 参加者100名ほど。 田尻役場にお勤めされた人が多かったですね。 思い出がいっぱいです。
記念撮影後、庁舎内を最後の見学会 この螺旋階段がこの建物の美しい1つ。 マスコミもNHKテレビ、河北新聞、大崎タイムス、地元のケーブルテレビが取材に来た。
当方、今回はNHKから取材を受けた 今日それがニュースで放映されました。取材の半分以上カットかな。 60歳代の地元の方というテロップがショック いい気性の地元の方、という感じで紹介されていましたね。
見学の後、会場を移動し2時間、お別れ会が行われた。 当方も5分間、最後の最後なので想いをみなさんにお話させていただいた。 お別れの会の開催経緯、そして円形庁舎へのお別れの言葉でした。
その時、原稿作っていたので、今日だけはそれを転載します。(今日だけです)
「田尻町づくり協議会の副会長、並びに宮城県建築士会町づくり委員会の委員長という2つの町づくりに関わる立場から、今回のお別れ会、開催までの経緯を簡単にお話させていただき、最後に、円形庁舎へのお別れの言葉をおくらせていただきます。 一昨年春、田尻町づくり協議会は、大崎市から田尻総合支所の建て替えに伴う意見を初めてもとめられました。どこに新しい田尻総合支所を建設するのか等、いくつかの計画案が提示されました。7月には田尻まちづくり協議会主催による、円形庁舎をめぐる学術的、歴史的な価値を再確認するワークショップを、仙台から本日基調講演をお願いしています仙台高等専門学校の相模先生、宮城建築士会から当時町づくり委員会委員長、現在宮城県建築士会副会長されております大竹様をお招きして開催しております。 その後、町づくり協議会内ではメンバー全員による全大会、また役員会で意見の集約作業を重ねてまいりました。これは正直、私としては個人的につらいものとなりました。大崎商工会から円形庁舎の存続維持、利活用の要望書が提出され、また日本建築学会東北支部から『円形庁舎は国の登録文化財の価値がある』という文書が市に提出されました。大崎市議会でも円形庁舎の利活用を検討できないかという提案もされました。地元新聞にも何度かこのことは取り上げられたのでした。 しかし結果は、町づくり協議会では、私等一部の委員を除き、ほとんどの方が、現円形庁舎を解体し、その場所に新たに新庁舎を建設するという案を選択されました。 非常につらい、切ない決定でした。しかし、何か月も多くの方が関わって決めたことです。受け入れざるをえないことです。 田尻総合支所は昭和33年供用開始から、地域のシンボルとして旧田尻町民、大崎市民に愛され続けました。 本日は田尻のシンボル、誇りでしたこの円形庁舎へ長い間ありがとうという感謝と、少し別れる前の切ない思いを込めて、厳かに皆様と共に円形庁舎へのお別れ会を開催することにいたしました。 旧田尻町の本当の終焉、昭和の時代の終わりです。かわりに、合併した大崎市田尻の時代が本当の意味で始まります。 笑顔で、今までありがとうと、感謝の気持ちを円形庁舎に伝えたいと思います。60年間、長い間、田尻を支えてくれてありがとうございました。さようなら。」 おわりです。 笑顔でお別れをしようと語りました。 私自身への語りかけでもありました。
見学会の途中に伊藤市長も登場 堀江元町長とご挨拶 ここは田尻総合支所の屋上です。 360度見渡すことができる屋上。
続く
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