テーマ:社交ダンス(8678)
カテゴリ:旅行記
<勝ち守り買いました>
第55番札所 南光坊は、今治市の中心街にある大きなお寺でした。 大三島の伊予一宮大山祇神社の属坊だそうで、四国霊場のうち『坊』がつく寺院はここだけとのこと。 坊というのは本店に対する支店みたいなイメージでしょうか。そこの主人が『坊主』と呼ばれ始めて、その言い方が広まったそうです。 一宮(いちのみや)とは、国の中で最も格式の高い神社のことで、伊予一宮は伊予の国で一番という意味だそうです。 推古天皇(594)の勅により瀬戸内海に浮かぶ大三島に造立された大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、全国にある大山積神を祭る神社の総本社。 山の神・海の神・戦いの神として尊崇を集めています。 昔は寺も神社も一緒だったんですね。弘法大師がここを札所と定めました。 しまなみ街道の旅で大山祇神社に行った時には買えなかった『勝ち守り』を大将がここで買ってました。 勝利をおさめた武将たちは鎧やら兜やらを奉納されているようですので、念願成就の暁にはダンスシューズでも奉納させていただくんでしょうか。(前はドレスとか言ってたっけ…) 第56番札所 泰山寺は立派な石垣の白塀に囲まれ、収穫の秋を迎えた田畑を見守るように建っていました。 近くを流れる蒼社川が毎年梅雨の季節になると氾濫して、村人たちは悪霊のしわざと恐れていたそうです。 弘法大師は村人たちと堤防を築いて、地蔵菩薩を彫造し堂舎を建てて泰山寺と名づけ、悪霊退散に一役かったというわけです。 本当に弘法大師って優秀だったんですね。堤防の作り方なんて、どこで学んだんでしょう。 第57番札所 栄福寺は、瀬戸内海の海難事故をなくすために嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が海神供養を修したお寺だそうです。 これまでのどのお寺より混んでいて、御朱印をいただく納経所でも並びました。 お遍路ツアーの白い装束の方々がマイクロバスでやって来て、お坊さんと一緒に本堂に向かって読経しておられます。 大将がトイレに行っている間、私もうろ覚えの般若心経などをところどころ唱え、お遍路気分をちょこっと味わせていただきました。 駐車場からまっすぐの道の先には長い階段が山の上の方に向かっていて、石清水八幡宮があります。 台風の影響なのか階段は通行止めになっていて、大将が『登ろう』と言わなくて助かりました。 平安時代から明治新政府の神仏分離令までは、神仏一体として崇められていたようです。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/10/03 06:06:21 PM
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