テーマ:社交ダンス(8677)
カテゴリ:旅行記
<今治城>
しまなみ街道の旅で今治に来たときは夜だったので、今治城のライトアップは見られましたが中には入れませんでした。 この城を築いた藤堂高虎(とうどう たかとら)は築城三名人の一人で、今治城は彼の最高傑作となる日本屈指の海城です。 この城のことも主人のことも全然知らなかったので、入ってみることにしました。 築城名人のあとの二人は、黒田孝高と加藤清正だそうです。 藤堂高虎は滋賀県生まれの戦国武将です。 大河ドラマが作れるんじゃないかと言うくらい、知れば知るほど面白い人物です。 当時には珍しい身長188センチの大男で、7回も主君を変えた転職名人でもありました。 羽柴家がお家断絶するまで長く仕え、秀吉の存命中は豊臣家臣でしたが、没後は元々親交のあった家康側について関ヶ原で功をあげ、家康の重臣となります。 層塔式天守を考案し、石垣上に多聞櫓を巡らす築城技術は後の城造りの手本となりました。 『藤堂高虎、出世の白餅』という話が講談になっている餅好きで、旗印も『三つ丸餅』。 千利休などに学ぶ文化人でもあり、遠山の金さん顔負けの名裁きなど逸話は盛りだくさんです。 城の内部の各階には武具などが展示されていて、日本刀の重さを実感できる展示もありました。 日本刀、ものすごく重くて、振り回したらこっちが振り回されそうです。脇差ならまだなんとかいけそう。 城内には冷房はなく、30度越えの暑さのなか汗だくになって最上階の天守にたどり着くと、爽やかな風が吹き渡っていました。 石垣はほとんど近隣の島から運ばれた花崗岩です。 堀を渡った橋の先に一際目立つデカい石があって、これは勘兵衛石(かんべえいし)と呼ばれるそうです。 藤堂高虎の重臣だった渡辺勘兵衛が石垣造りの現場監督を任されていて、『運んできた石は米と交換する』と言うおふれを出したとのこと。 石垣に必要な石は何万個もありますから、みんなに米を渡していたら米倉は空になってしまいます。 そこで勘兵衛は知恵を絞り、ある時期から『もう石は間に合ってるから、その辺に捨て置くか持って帰ってくれ。』と言ったそうです。 重い石をまた持って帰るのはバカバカしいですから、みんな捨てて行ったんですね。立派な石がたくさんタダで集まりました。 勘兵衛さん、うまいことやりましたね。トイレの壁も石垣です。 入場券を買うと、天守閣、御金櫓、山里櫓、鉄御門、武具櫓が全部見られます。 折角なので山里櫓に入ってみました。 天守閣などの再建事業には5億円以上の多額の経費を要し、企業や個人からの資金協力が多く集まったようです。 この山里櫓は平成2年、市制70周年記念事業として私財1億5千万を寄贈された河野勝一氏が、展示されている貴重な品々も含めて提供してくださったとのこと。 武具だけでなく調度品や古美術品など、とんでもなく価値の高そうなものばかりでした。 寄付された方の紹介が櫓内に掲示されていたんですが、お仕事は議員さんとか。 受付の方に『何で財を成した方なんですか?先祖代々の資産家?』と聞いてみたんですが詳しくは知らないとおっしゃってました。 鉄御門、武具櫓も見ました。復元作業の様子などの説明用ビデオがリピートで流れていて、改めて設計した藤堂景虎の凄さと再建の大変さを知りました。 展示内容がバラエティに富んでいて見応え満点で面白かったです。 希望すればボランティアの方が無料で場内を案内してくれるようです。 藤堂高虎、大河になればいいのになあ。(すっかり知り合いになった気分) (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/10/04 07:46:50 PM
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