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おいろーぱ野郎

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2005.01.29
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カテゴリ:die Schrift
「あんたがそんなに好きだっていうUKにどんな楽しみがあるんだい。」と 皮肉たっぷりに言われるかもしれないが、ドイツからUKに出張していたころの楽しみの一つに空港の本屋巡りがあった。
 南ドイツでも大きな書店に行けば勿論英語本は入手できるが、そのバリエーションは限られている。Muenchen大学の隣にある英語書籍専門店にも数回行ったが、アングロサクソンの国の小さな書店よりも雰囲気的に購買意欲をそそられない。
 当時はヒースロー経由で毎週アイルランドやスコットランドに飛んでいたので空港内で足止めを食う事が多かった。専門書の類は期待できないにしても、英語による書き物を探すにはいい機会だ。欧州大陸での生活が日常になると、贅沢な話だが、頭が違った刺激を求めてしまう。そんなときには軽い調子のUS系Paperbackを手にしたくなる。
 空港という場所柄 旅人が軽い気分で手にとれる性格のものを多くしているためか、書店に並ぶ本や雑誌にはUS出版UK輸入のものもよく目に付く。逆転した祖国と植民地の立場を生かし、日没後100年以上経過した帝国をじわじわとイビルかのように昔の怨念が顕在化しているわけではないだろうが、小売価格に少なからぬ差が設定されている。例えばある本の裏表紙にはUS$40 UK£30 と印刷された価格表示枠がある。単純に今のドル円ポンドのレートからいうと50%高い。
 世間的にあらゆる面でお仲間同士の癖にそんな小さなマーケットで金儲けしてどうすると没後帝国の肩を支えて(決して持ちはしない)あげたくなる。しかしこれはポーズで実は帝国の法規や流通上のルールやリベートその他に源を持つだけなのかもしれない。

 南ドイツからUKへの強制移住準備のため、ありったけの感傷が体の隅々までを満たしていた初冬のある日、小さな記事をネットで見かけた。
 コラムニストのボブ・グリーンがある“出来事“のために人気コラムを降板し、所属する新聞社シカゴトリビューンを退職するという内容だった。今週、あるところでそれを思いだすまで、感傷のアオリを食ったこのことをすっかり忘れてしまっていた。

 パステルカラーの陽射しの下で、世界一のプライドを胸に静かにギラギラとする会社員のスーツ姿と、くだらないTV番組と、水に浮きそうに浅薄な欲の数々が巷に氾濫する。日本がまだ泡沫経済を謳歌していた80年代、ボブ・グリ-ンの名前と著作は当時の日本人達のアメリカ文化信仰と共に日本のB級Mediaなどで盛んに引用されていた。ついぞかの国を経済的に凌駕したと湧く恐いものなしの日本社会。しかしそれでも当時の作家や文化人達の一部が、アメリカ文化の明快さがもつ広大な農場の香りと楽天主義を世に伝える事を、変わらぬ調子である種の使命のように啓蒙し続けていた。それには、彼らの育った戦後間もない時代のアメリカコンプレックスの影響もあるのかもしれない。後に続く自分達にも、その薫陶世代の置き土産は形を変え伝承される。自分自身、アングロサクソン文化を抜きにしては己の旅の記録を語ることはできない。

 その頃、Paperbackがなんとか読めるようになった自分にとってボブ・グリーンのコラムの再構成版であるCheeseburgersは適切なチョイスだった。平易な文体をベースに、アメリカの日常にあるちょっとした驚きと、ちょっと甘ったるい感傷と、空虚さが、押し付けがましくないトーンで綴られている。気のいいアメリカ人が穏やかに微笑みながら、手触りは悪いがほどよくこなれた短冊の紙の中から自分に話しかけてくる。それは時には身の上話で、時には冗談で、そして時には慰めとして伝わってくる。友だちっていいもんだな と思う時、体を流れていく安堵感が、活字から視神経を通じ体に流れ込む。
 以来、別の著作も読んでみたいと思ってはいたが、エンジンの小さい車がひとところに留まるには世界は広く、日の照る時間は少なすぎる。ましてハンドルを握るのは怠惰なドライバーだ。ちょっとした知り合いになったアメリカ人への点線は、忘れた頃に度々実線となって蘇っては消えていたが、最近になってLondonのどこかの書店で再び轍が交わるような、そんな予感がしていた。

 数日前、その”出来事“のことを取り上げた Esquire誌の取材記事を目にし、出来事の背景と辞職後の暮し向き、そして新たな不幸のことを認識した。
 この事件の世俗的な解釈はこうなる: 
売れっ子コラムニストが記者の立場を利用し、
未成年者と過去に不適切な関係を持った。
社会の模範となる報道人にあるまじき行為だ。 

 14年前に高校のジャーナリズムクラスの授業の一環で母親と一緒にOfficeにやってきた、あと一週間で大学生になる17歳の女子生徒の彼への問いかけは「木にたとえると自分はなにか」 とか「自分を食べ物にたとえると」などという他愛の無いものだった。後の質問に対する彼の答えは、勿論、チーズバーガーだった。
 その数週間後に、彼と彼女とに起きた事:
 sexual encounter that stopped short of intercourse 

 その後も年に一度は彼女から連絡が来ていたが、やがてそれはアクセスされない記憶の一部に成り果てた。忙しい日常を送る中、突然過去からの連絡を受ける。しかし彼女のニュアンスは貯蔵された記憶にマッチしない、乾いたものだった。
 しっくりしない足場の部材はやがてFBIに渡され、彼の所属する新聞社が設置する社内規範委員会の手に納まった。彼は辞職し、多くのアメリカ人は勿論、世界中の彼の読者がその知らせに耳を疑った。世の中へ向った衝撃波が反響し、シカゴに戻り押し寄せる前に、彼は最小限の荷物をまとめ、「私の人生に誇ることができない無分別があった」というコメントを残し、トリビューンを去った。
 その後、北部の新天地へ車を走らせ市井の暮らしに紛れる彼に、最愛の妻の異変が待っていた。看病の末、文字通り息を引き取った彼女の葬儀で、取材記事は終わっている。記事には、雲ひとつ無い空から身に降りかかったそれらの事に、彼が引きこまれ、揉まれて、絶句するありさまが描かれているが、興味本位のゴシップとして読みたい向きには胸にもたれるだろう。

 刑事罰が与えられたとは書かれていないので、隠遁生活は彼の意志によるものだと予想する。自分の人生そのものがある日を境に一瞬にして出来の悪いコラムに堕してしまったジレンマは想像に余りある。しかし、いかなるコラムニストも清廉潔白でなければならないのか。特にアメリカでは法と倫理が遵守されねばならないのは判るが、物書きだって一人の人間に過ぎない。しかもこの件では不適切とされる行為だって知れている。そもそもこの世の善悪を分かつ壁の厚さが均一でないことは、誰だってその肌で判っているはずだ。
 
好きな食べ物は と問われ、チーズバーガーと答える人は世界に少なくない。2年が過ぎた今、馴染みの本棚から消えたそれを待つ人たちも勿論少なくないだろう。
 そんな気持ちでネットを調べていたら、お待ちかねの焼きたてがそこにあった。でもチーズとトマトは、まだ昔のように入ってはいないようだ。
 心配した分、値引きしてよね。

*** 補足 ***

Bob Greene氏のTribune時代のコラムアーカイブ

(JWRというこのJewish Media?に氏がコラムを寄稿していた様子)






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Last updated  2005.01.31 02:27:17
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