レオナール・フジタ展
上野公園は、銀杏が黄金の輝きを放っていた。その葉っぱが降り敷く道を上野の森美術館に進むレオナール・フジタ展戦後のいざこざから祖国を捨て、フランスに帰化した藤田嗣治はレオナール・フジタとして歩み始めるその歩みを追ったこの展覧会は日本とフランスのふたつの国に大きな足跡を残した稀代の天才画家を、その生活風景を含めて集約した、とても意義ある展覧会だった。まず第一部は、習作時代からエコーウ・ド・パリの画家として「すばらしき乳白色」と異名をとったフジタの裸婦の展示そして、第二部は、1928年に制作され、その後所在不明であったものが1992年パリオルリー空港郊外の倉庫で発見され,その後修復が行なわれたキャンバスに描かれた「構図」「争闘」の大作各二枚の一挙公開この1928年という年は、非常に興味深いなぜならば、フジタは、パリでディエゴ・リベラと親交がありそのリベラが関わっていたのが、メキシコ大壁画運動であるからだ。シケイロスの呼びかけに応じ、1921年に祖国メキシコに帰郷したリベラは民衆のための芸術活動としての壁画制作に携わっていくイタリアのフレスコ画やジェリコーなどの叙事詩的絵画に感銘を受けたフジタが後に大画面の戦争画を描いているがこの時代のリベラとの出会いや、1931年の南米歴訪それも叙事的絵画としての戦争画を描きたいというフジタの思いの原点になっているのではないかとひそかにわたしは思っている。南米歴訪を終えて帰国したフジタは大作「秋田の行事」を1937年に制作するしかし、時代が彼を翻弄し一挙に戦争画制作の戦犯としてフレームアップされることとなったのだった。