ベルヴェデーレ宮殿上宮(2)エゴン・シーレ
オーストリアギャラリーには、またエゴン・シーレの部屋が設けられている。1962年に生まれたクリムトはハプスブルグ帝国の帝都ウィーンの最後の栄光の中に生き19世紀末の豪奢と官能と退廃を体現した。私の自画像はない。絵の対象としては自分自身に興味がない。むしろ他人、特に女性、そして他の色々な現象に興味が有るのだ。という、彼の言葉に表されているように、彼の絵には、官能的な女性を金箔やパターンを多用した装飾的な技法で表現した作品が多いその弟子であるエゴン・シーレは1890念生まれ師のクリムトとは対照的に、自己の内面世界を通して世界の荒廃、時代の不安といったものを表現していった。オーストリアギャラリーにある、彼の代表作「死と乙女」痩せさらばえ、必死の思いで,生を象徴する乙女にすがっているのは枯死を思わせる黄土色をした、瀕死のシーレ本人そして、乙女の奇妙に伸びた腕や、落ち着かないまなざしはひょっとしたら、この乙女こそが「死」であるという予感を抱かせる。そして、「家族の肖像」いずれの肖像も、剥き出しとなった彼の自我の表現であり、見ていて、痛々しい思いを禁じえない彼の絵は、ヌードが多いが、それらは官能的な裸体の表現というより人間の虚飾を剥ぎ取って、その存在そのものの意義に迫ろうとしたのではないかその表現としてのヌードであるような気がする。皮一枚で、かろうじて世界と向き合っている存在、それが人間であると。一方、シーレが、着衣の人間を表現するとき、そのまなざしは、かぎりなく優しいまるで、世界との和解に成功したかのようだ。「座せる画家の妻」そして、アルベルティーナ美術館にある少女たちの肖像シーレは、1918年、奇しくも師のクリムトと同年に28歳の若さでスペイン風邪により夭折しているこのまなざしが語るものは、「もはや見るべきものは、見つ」という時代の運命であったのだろうか。