テーマ:徒然日記(23313)
カテゴリ:おっさんの主張
さて、先日あるブロともさんの日記に
マリア・ルーズ号事件について書いたら、「ようまあそんなもの知っとりますな」と・・・ マリア・ルーズ号事件てマニアックな話題?。。。 以前明治維新の偉業の影に隠れた蛮行として「廃仏希釈運動」について書いたことがありますが、 このマリア・ルーズ号事件も明治の闇の一つ・・・ 今日は明治維新の光の影に隠れた闇について書いてみましょう・・・ 光と影のテーマにふさわしく今日は年末年始のイルミネーションの写真です・・・ いや~、タイミングを外していつ掲載しようかと思っていたのですよ。。。 マリア・ルーズ号事件はマニアックなようなのでまずはその概要を説明しましょう・・・ 1872年、中国からペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルーズ号が修理のため横浜港に寄港しました、 同船には中国人230余名が乗船していました、横浜に帰港中過酷な環境から逃れるため一人の中国人が海に逃れイギリス海軍に保護されました。 イギリスは同船を奴隷輸送船と判断し日本政府にその救助を要請しました。 日本政府は人道主義と日本の主権独立を主張しマリア・ルーズ号に乗船している中国人の救出のための手続きの開始を決定しました。 マリア・ルーズ号は横浜港からの出航停止命令を受け、出航の条件として中国人の解放を要求しました、 マリア・ルーズ号の船長はこの判決を不服とし、中国人の「移民契約」履行請求の訴えを起こし、中国人のマリア・ルーズ号へ戻すよう要求しました。 裁判が行われ移民契約の内容は奴隷契約であり人道に反するものであり無効であると、要求を却下、 これに対しマリア・ルーズ号側の弁護人は「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」として遊女の年季証文の写しと横浜病院医治報告書を提出しました。 日本国内においても娼妓という人身売買が公然と行われており、他国の奴隷売買を批判する立場にないというのが言い分です。 これにより日本は公娼制度の廃止を余儀なくされ芸娼妓解放令が出される事となりました・・・ っとこれが事件の概要です。 しかしこの芸娼妓解放令、人道とは程遠い形で発表されることとなります。 公娼制度は人身売買そのものではないかと追求された日本政府は、あわてて太政官布告第二九五号で人身売買の禁止を確認するとともに芸娼妓を解放し、その借金問題は裁判でとりあげないことを決定します。 それを受けて司法省省令第二二号・・・ 「芸娼妓は人身の権利を失う者にて牛馬に異らず、牛馬に物の返済を求むるの理なし」として芸娼妓の借金は無効で、返済を求めてはならないと命令しました。 さて、何を言っているかわかりますか? 娼妓は借金で自由を奪われたもので牛馬と同じ、牛や馬に物の返済を求めるわけにいかないから借金は無効ですよということです・・・ 激動の時代を必死に生き抜いてきた娼妓たちを牛馬と同じ、娼婦は「女」でなく「メス」であると言い切ったのです。 日本政府に公娼制そのものを廃止する意図はなく、遊郭はその後貸座敷と名を変え、貸座敷業者は自由意思によって娼妓に座敷を貸すという形式に改められました。 娼妓を縛る身代金はその後前借金と名を変え、娼妓には遊客選択の自由、療養休業の自由、外出の自由、通信面接の自由はなく、 本当の意味での解放には至りませんでした。 これが、マリア・ルーズ号事件の顛末・・・ なんとも人道的な対応ですな。。。 呆れてものも言えませんね・・・ これは明治維新の偉業のなか、忘れられてしまった闇の一部です・・・ 明治維新の偉業は誰も否定するものではありません、 しかしその光の中で「廃仏希釈運動」「芸娼妓解放令」と闇は存在したわけです。。。 光あるところ闇は生まれるもので、繁栄の中に腐敗は生まれていくもの・・・ 明治新政府の行ってきた改革もその全てが正しかったわけでは決してないのです。 今日はなんとなく書きたくなったのでこのお話・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[おっさんの主張] カテゴリの最新記事
|
|