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カテゴリ:エッセイ
先日公衆トイレで久しぶりに流していないウンコに遭遇した。水が流れないのかと思ったが、流してみると普通に流れた。よほど急いでいたのかとも思ったが、おしっこと異なりウンコの場合はパンツやズボンを元の位置まで戻さなくてはならない。その間に、足元にウンコがあるのに気がつかないということはあまり考えられない。不思議だなと思ってふと気がついた。流し方がわからなかったのではないかと。
小学校の頃、特に低学年の頃、お父さんは学校で流されていないウンコをよく見た記憶がある。なぜよく見たかと言うと、誰かが発見すると教室まで戻ってきて「トイレにウンコがある」とクラス中に知らせるのが慣例で、それを聞くとみんなでウンコを見に行くことをしていたからだ。
今の小学生はわからないが、お父さんが子供の頃、学校でウンコをするというのはとても恥ずかしいことだと認識されていた。だから学校でウンコがしたくなっても、必死で家まで我慢することが多かった。もしどうしても耐えられないという時は、クラスメートがいない別のトイレまで行ってウンコをするということをお父さんはやっていた。 休み時間にクラスメートがいるトイレで大便用の個室に入ると、誰かがウンコをしているとはやし立てられるし、下手をすると上からのぞかれて誰なのか判明してしまう。そんな光景を常に見ていれば、みんななかなか学校でウンコは出来なくなる。
こんな状態なのに、なぜウンコをした証拠をそのままにしておく人がいるのか本当に不思議だった。証拠を隠滅しておかないと、絶対に後から騒ぎになるのは明白である。騒ぎを起こそうという愉快犯なのかと当時は思っていた。 しかしながら、50歳を過ぎていきなりひらめいた。そしてかなり確信的に「流し方がわからなかった」というのが真実ではないかと思っている。
お父さんが子供の頃、水洗トイレの家庭での普及率は半分ぐらいだったのではないかと思う。友人の家がボットン式トイレというのは珍しいことではなかった。自宅がボットン式トイレであれば、ウンコをした後に流すという行為を知らないということは十分に考えられる。 中学生以降、トイレにウンコがしたままになっているということがなくなることを考えれば、自宅が水洗式に変わったり学校で水洗式トイレのことを学んだからなのではないだろうか。
ちなみに先日見た流されていない状態のトイレは和式のトイレだった。最近の家庭にあるトイレはほとんどが様式のトイレである。逆に子供が和式のトイレの水洗レバーを知らなくて流せなかったと考えるとしっくりとくる。 子供と言うのは人生経験が足りないので、状況というかいろいろとチェックしてこれが水洗用のレバーではないかと確認することができないこともあると思う。
和式の便器は海外に行くと、アジアではまだまだ存在する。今の小学校のトイレはどうなっているのか知らないが、経験を積ませるための教育として和式のトイレは残しておいた方がよいのではないかと思い始めた。
ちなみに最近は父親がいろいろと物忘れがひどくなっているので、老人が流す行為を忘れるということも十分考えられる。 人間長く生きて経験を積むと、世の中が見えるようになると言われているが、これもその一つなのだろう。真剣にこんなことを書いている自分に笑ってしまうが、トイレに行かない人はいないので、孫が生まれたらいろいろなタイプのトイレの使い方を教えてあげなくてはならないかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.24 00:10:07
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