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カテゴリ:エッセイ
お父さんには3人の子供がいる。息子が1人と娘が2人だ。お父さん自身も3人兄弟で、上に兄、下に妹がいる中間子である。事実とは断定できないが、お父さんは中間子として、常に何かあっても順番は2番目だった。年の順では上からも下からも2番目。男だけが対象の時も基本は兄が上で先、女だけの時は妹のみ。中間子として生まれた良かったと思ったことはあまり記憶にない。 またお父さんは親の注意を引くために、自分がいろいろとできるという優秀さのアピールをしようと努力していたので、手のかからない子供としてますます親からの世話から離れていた。
そんなお父さんを1番に扱ってくれたのが母方の祖父母だ。特に祖父はお父さんをひたすらにかわいがってくれた。両親からは1番にしてもらえなかったが、祖父母の元ではお父さんが1番になれるという思いがあり、あまり精神を捻じ曲げることなく成長することができた。祖父母には本当に感謝している。
前置きが長くなったが、自分が中間子としていろいろと不利な立場にいたという思いから、自分の子供は絶対に平等に育てようと考えていた。そして実際に3人の子供を持ち育てているが、この平等というのがいかに難しいかを思い知らされた。親考える平等と子供の考える平等が異なることも原因なのだが、それ以上にお父さんが難しいと思うのが性別の差である。
お母さんが長女を妊娠したとき、お父さんは男の子を希望し、お母さんは女の子を希望した。これは、初めての子供は自分の性別と同じ方が育て方がわかるという思いが強かったと思う。さらにお父さんは男として息子と男同士の絆や遊びを欲し、お母さんは女として娘とやりたいことがいっぱいあった。逆に言うと、自分と違う性別の子供とどう接してよいかわからないという思いが強かった。
結局生まれたのは女の子であった。お父さんは少し気を落とし、お母さんはとても喜んだ。ちなみに二人目で息子が生まれた時は、完全にお父さんのほうがはしゃいでいた。まだ乳飲み子のうちからグローブやボールを買ったりして、息子と一緒に遊べる日が来るのを夢見ていた。 お母さんは娘と縫物をしたり、料理をしたり、一緒に買い物に行く楽しさを夢見ていたようだ。
ところが結果として、お父さんは娘2人と遊ぶことが多くなり、お母さんは息子と出かけることが多くなってしまった。生まれる前の思いというか想像と正反対な結果になっている。 原因は、異性になる子供の方が可愛いと感じるからではない。同姓の子供に対しての思い入れが強すぎるからだとお父さんは思っている。
お父さんは息子には「こうなってほしい」という具体的な思いがいろいろあるが、娘には具体的な思いがほとんどない。逆にお母さんは娘に対して「こうなってほしい」という具体的な思いがあるが、息子にはない。
結局思い入れの少ない自分と性別が異なる子には、甘くなってしまうのだ。必然的に息子はお母さんになつき、娘はお父さんの方が優しいとお父さんになつく。もちろん息子が父親を嫌いになるとか、娘が母親を嫌いになる程ではないのだが、お父さんから見るとお母さんは息子にだけ甘いように見えるし、息子はお母さんに甘えていると思っている。 逆にお母さんは、お父さんが息子に厳しく娘に甘いと思っており、娘たちはお父さんに甘えていると思っている。
子供が成長して思春期に入ると、この構造はよりはっきりするようになった。生まれる前には息子を待望したお父さんは息子と接点を減らし、娘を切望したお母さんは娘とよくケンカしている。 世の中思い通りに行かないものだとはいえ、本当に不思議なものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.25 00:10:22
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