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カテゴリ:統合失調症
桜の舞う頃、思い出さずにいられない患者Uさん。
いつも忘れられない患者さんだから、思い出すというのは少し違う。 初めて会った時、彼は有名一流大学を目指す、背の高い涼しげな目元の少年だった。 明らかな幻覚妄想状態で、放置自動車にそのへんの散水ホースを巻きつけ「警察に届ける、持ち主が現れなければ、半年後には自分のものになる」と言っていたところを保護された。 一晩親と過ごしたが、夜中に家を出て「ここはどこだ、何かおかしい。変わってしまった」と歩き回り、道々家の鍵だの、大事にしていたCDだのを捨ててきてしまった。 探し当てた両親が翌日連れてきた時には「××(父親の名前)を殺してやる」と言い、「俺は●●大学に行くんだ」と何かにつけて喚いていた。 そんなだったから即日入院させ、家族との面会も当面制限せざるをえなかった。 入院したその日の夜、当直をしていると「Uさんが拒薬しています」と看護師からコールがあった。 部屋を訪ねて服薬を勧めると、彼はボックスティッシュの箱をサイコロのようにころころと投げては転がした。 「○○製紙って書いてある。知ってる?水に溶けません、流さないでくださいって。」 そう言ったかと思うと突然そのボックスティッシュを拾い上げ、タオルやら、カップやらの上に積み木のように重ねて、何度も落としてみせた。 そして私の足元を見て「その靴、どっちがブレーキ?どっちがアクセル?」と尋ねた。 「Uさん、とにかく薬をのもうよ。のまないとよくならないし、帰れないよ。」 私が声をかけ、看護師の一人が水の入ったカップを持ち、彼の口に薬を入れようとすると、「自分でのむ」と言う。 彼の手掌に薬を載せると、彼はじーっと薬を眺めて、「これのんだら、死なない?死なない?」と私に尋ねる。 私は笑って「死なないよ。保証するよ。」と答えた。 よくある他の患者さんのように「じゃあまずオマエがのんでみろ」とは言わなかった。 彼は看護師の手から水の入ったカップを受け取り、薬をのもうとしたが、何度思い切っても、口に入るに至らず、手がブルブルと震えた。 のもうとはしてくれているんだ、でも生まれて初めてのむ向精神薬が本当に怖いのだ、無理ないな、と思った。 突然、思いついて私は叫んだ。「●●(大学名)一気、いきまーす!」 ハイテンションな手拍子に、看護師も合わせた。 「最初に3つ!もひとつ3つ!オマケに3つ!それ一気一気...」 彼は薬とカップの水を一気に飲み干し、高々と拳を突き上げた。 後から訊くと、数日間看護師たちが同じようにして、服薬をさせ続けたとのことだった。 無人のナースステーションに隙をついて侵入し、施錠された職員通用裏口の前で電気錠をいじっているところを職員に取り押さえられてしまったこともあった。 取り押さえられて大暴れしたので、私が出勤した時には当直指定医の指示で保護室(隔離専用の、室内にトイレがあり余分な家具もシーツも何一つ無い部屋)に入れられ、中で自称「スーパーサイヤ人」になっていた。 看護師たちはUさんが問題患者であるという意識だったようだが、私は「ナースステーションの施錠忘れによって当たり前に起きたこと。自らの意思に反して入院させられている患者さんは、誰しも隙があればエスケープしたい。結果的にそのミスによって、彼の不穏興奮性を誘発してしまったことが問題」と厳しく諌めたために、暫く主治医への風当たりが強まった。 ご両親はこんな息子さんを当然のようにとても心配していた。 家族面談のたびに「よくなるということはあるんでしょうか?大学進学どころか、とても普通の生活ができるようになるとは思えない。率直に言って治るんですか?」と父親が尋ねた。 私はいつもこう答えた。 「正直、治るのが難しい病気であることは確かです。服薬が要らなくなるのを完治とするなら、完治は無いでしょう。でも、私の患者さんで、服薬で完全に症状をコントロールし、日常生活を普通に送っている人は何人もいます。皆さん進学したり、仕事をしたりしているんですよ。お薬への反応性も個人差があるので、彼が必ずそのレベルまで行く、というお約束は正直できないです。でも、私は大学進学も含めて、彼が普通の生活を送れるようにする、ということを目標にして治療を行います。少なくとも、私はそうするつもりでやっていますよ。」 治療が進むと病状は波を描きながらも、意味不明の会話は目に見えて減っていった。 「じゅびっちー、結婚しよーぜ」 「★★ってラーメン屋(時に、お好み焼き屋)が美味いんだ。食いに行こうよじゅびっちー」 私のことを先生なんて呼んだことはほとんどないので、よく年配の看護師に注意されていた。 「Uくんのオゴリなら、遠くても行くわよ」 「えーっ、じゅびっちー稼いでるだろ。じゅびっちーのオゴリに決まってんじゃん」 「そんなら行かないよー」 そんな軽口をいつも私と叩いていた。 未成年のくせに、他の患者さんにタバコを教えられてしまい、こっそり個室で吸っては叱られた。 病院食のメインディッシュはボリュームが少ないから、当然若い男の子には物足りない。 「じゅびっちー、肉が食いてぇ!」と時々言っていた。 「今日のお昼は唐揚げだってよ」と言うと「やったー!唐揚げ大好き」と無邪気に喜んだ。 外泊した時に、夜中に歩き回ったところを父親と歩き、鍵やCDの行方を尋ねて回ったが、ついに何ひとつ発見されなかった。 奇異な言動がほとんど見られなくなったところで、退院。 入院して2ヶ月ほどが経過していた。 外来通院に切り替えて、まもなく受験シーズンがやってきた。 まだまだ内服薬が多くて、睡眠時間も長い。 ほとんど勉強できていなかったので、さすがにその年は無理だろう、と私も思っていた。 本人も、前に出来たはずの問題が出来ない、勉強してもすぐに忘れてしまうと言っていた。 結局翌年、彼は予備校に通い始めた。 彼はよく頑張っていた。 相変わらず「じゅびっちー」と言っては診察室に入ってきた。 一度呼び方を変えてみる、と「じゅびあすゎーん」と入ってきたことがあったな。 私が訊くといつも「勉強?やってるやってるぅ!」と笑った。 模試で、●●大学こそ無理でも、いくつかの志望校A判定をとってきた。 「じゅびっちー、そのペン見せてー。モンブランじゃーん。じゅびっちカッコイイー!受かったらそれくれる?」 「やだよ。やんないよ。」 健康な若者でも、朝から夕方まで予備校の授業に出るというのは根気の要ること。 帰宅するとすぐ眠ってしまうのを、母親はかなり気にしていた。 「先生、予備校から帰ると疲れるのかすぐに眠ってしまうんです。もう少し勉強したほうがいいと思うんですけど。それに集中力が前に比べて無いって...薬のせいでしょうか?」 私は母親に、「彼は一生懸命やっていますよ。のほほんとしているように見えても、実は人一倍努力しているはず。欲をかかず、見守ってあげましょう」と繰り返し話した。 だが、母親は自責感が強く、何度かこんなことを言っていた。 「私が健康に成人させてあげられなかったせいだと思うと...こんな病気にさえならなかったら、今頃...」 私は母親に決してそれを本人に言ってはいけない、あなた自身考えてもいけないと諭した。 1年がかりで、少しずつ慎重に薬を減らし、極期に比べれば1/2量ほどになった。 一度も幻覚妄想が出現することは無く、平穏な日々を過ごすことができた。 そして3月、●●大学は無理だったものの、受験した大学のひとつに合格した。 「じゅびっちー、薬のんでるとさ、酒飲んじゃいかんって書いてあるじゃん。大学入るとコンパとかあるじゃん。本当にダメなの?1滴も?」 私は笑いながら答えた。 「医者の立場としては、ダメって言わざるを得ないよ。まあ、20歳になって普通に生活していれば現実には、ね。1滴もなんてあんまり細かい野暮なことは言わないけど、ヘロヘロになるまで飲んではダメよ。」 彼は新しく決まった下宿の話や、高校の同窓会の話なんかを次々にしてくれた。 治療の手を離してはいけない、と思っていたので、服薬を続けること、とにかく状態が変わらない限り母親が薬をとりにくること、変われば通学どころではないのですぐ受診すること、授業の休みに合わせて本人が来院することを約束した。 「何事もなければ次は夏休みかな?元気でやんなよ」と言う私に「夏休みかな、GWには一度帰るけど、病院休みだろ」と言う彼。 じゃあなっ、と彼は片手を上げて診察室を出て行った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月15日 14時49分35秒
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