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じゅびあの徒然日記

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2007年04月16日
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カテゴリ:統合失調症
その日、私の出勤を待っていたかのように彼の伯母さんからという外線通話が入った。
彼がとても慕っていたため、よく話題に上ったユーモアのある人だ。
彼の診察に初めて同伴していらした時に「あなたが噂の伯母さんですね」「はい、私が噂のお伯母さんです」という会話をしたことを、伯母さんも覚えてくれていた。

入学式は一昨日終わったはずだし、調子が急に悪くなったのも考えにくいなと思い、繋がせると「先生?じゅびあ先生ですか?」といういつもと違う調子の声が耳に飛び込んできた。
「先生、U、Uがね、死んじゃったの!」
「えっ、そんな...どうして、どうしたの...そんなことする理由、何も無いじゃない。」
「入学式は普通に出てね、来週から授業だって、GWにはこっち帰るって話もしていたの。美味しい店を見つけたから、あっちでご飯を食べようって約束もしていたのよ。なのに、ついて行った妹が留守した隙に飛び降りてしまったの。」
「『飛び降りろ』って幻聴が聞こえたとか症状が出て、ってことはないでしょう?悪化した兆候はあったの?」
「それは絶対ないと思う。すごく落ち着いていて、前の夜も妹とテレビを観たり、遊んだりして大笑いして枕を並べて寝たっていうもの。少しでもおかしいところがあったら、妹はあの子を一人置いて出かけたりしなかったはず。」
「お母さんは、本人は帰ってきたの?いつ帰ってくるの?危ないからお母さんから目を離さないでね。」
「昨日のうちに警察も入ったみたいだけど、夕べ妹は取り乱して夫にも連絡できない状態で。まだ今日は連絡取れていないのよ」
「とにかく、詳しいことが判ったらすぐ連絡ください。ずっと待っていますから。」

外来へ降りるエレベータの中で、怒りと涙がどっとこみ上げ、一人壁に寄りかかってボーっと天井を眺めていた。
あのお父さん、お母さん、大好きな伯母さん、おまけに私まで裏切って、何てことを。
入学手続きして、マンション借りて、新生活用品とスーツ揃えて、入学式も行って。
お母さんも泊まれるようにって、少し広いところ借りて。
これからあなたを失ったお父さんお母さんは、どうやって生きていくのよ。
私だって、何のためにここまで治療をしてきたのよ。
それでも、その日の診察は普通にこなさなければならなかった。それが仕事だから。

午後になり、伯母さんから再び連絡が入った。
お母さんが横にいて、私と話したがっていると言うので、代わってもらった。
「Uね、大学に受かって安心した気持ちはあったけど、自分が本当に行きたいところには受からなくて、自分で納得はしてなかったんだと思う。自動車学校も行ったけれど、なかなか次の段階に進まなくて、自分の思うとおりにいかないことが、少しずつあって。時々、こんな病気になっていなかったら、今頃大学生なのかな、って言っていたこともあった。病気の症状でってことは、絶対ないです。先生、じゅびあ先生には本当に頑張って頂いたのに、こんなことになって、申し訳なかった...。そんな、先生いらっしゃって下さるなんて、お忙しいし、遠いのだからご無理なさらないでください。」
涙ながらに話すお母さんに、電話を受けた診察室でもらい泣き。

翌日、私は伯母さんから聞いておいた通夜会場に出かけた。
Uさんの死因は伏せられ、事故で亡くなったということになっていた。
焼香の順番を待つ列に並び、祭壇に飾られた彼の笑顔を見た瞬間、涙で身が震えた。
入学式だけしか行っていない大学名の入った花輪が悲しい。
棺の中の彼は、私がガツンと鎮静をかけて眠らせていた時と同じ穏やかな顔だった。
焼香して手を合わせたけれど、とても「ご冥福」なんて祈れない。
「冥福なんて祈れるか、このバカたれ」と彼に向かって心の中で叫んでいた。
ご両親に向かって「お父さん、お母さん...」と言った後、ぐしゃぐしゃで言葉にならない。
ご両親がそんな私を見て、抱きかかえるように肩を叩き、「先生...」とともに号泣。
「先生、びっくりさせちゃったね。ショックだったよね。先生あんなに一生懸命やってくださったのに、申し訳ない。僕は先生に一生感謝する」とお父さんがおっしゃってくださった。
「こんな、お父さんお母さん裏切って先に...」周囲を気にしながらもやっとそれだけ言葉が出てきた。

伯母さんが声をかけてくれたので、彼の思い出話をしながら通夜がひと段落するのを待った。
お母さんや伯母さんがUさんの小さい頃からの写真を、見せてくださった。
ご両親が今よりずっと若くて、幼い彼を肩車したり、旅行先で手を引いたりしている姿。
カメラに向かってピースサインを作る、お茶目な男の子。
彼がどれだけ宝物のように慈しまれてきたかを思うと、ポタポタ音を立てて涙がこぼれた。
「これ病気になる前なんですよ。高校生の頃」と見せてくださった写真の彼の笑顔は、私の知らない彼の笑顔だった。
私は、病気になってからの彼しか知らない。
私は彼の笑顔をよく知っているつもりだったけれど、写真の笑顔とはどこかが違った。
私は彼の病気を治療し、症状を完全にコントロール下に置き、普通の生活に戻したつもりだったけど、そう思っていたのはひょっとしたら私の独りよがりで、彼にとってはどこかが、何かが違っていたのかもしれない。

その場にご両親と、眠る彼と、私だけになったとき、お父さんがおっしゃった。
「遺書も、何も遺していかなかったんです。本当にコイツはバカだよなぁ。先生がいらっしゃらなかったら、もう、あの時私たちはUを失っていたんです。こんな静かな死に方をしなかった。もっと悲惨な最期だった。先生に、この子は大学生にしてもらったんです。」
お母さんも「あの時は、到底普通の生活に戻れると思わなかったのを、戻していただいて...」と言ってくださった。
「私、手を合わせてご冥福なんてとても祈れなくて...今日は彼に怒ってやろうと思って来たんです。こんなことして、みんなを裏切って、絶対許さないからね、って。」
お母さんが棺の中の彼の頬を撫でながら言った。
「ほら、U。じゅびっちーが来てくれたわよ。許さないってさ。起きてきなさいよ。」
目の周りが涙やけするくらい、帰り道も人目を憚らず泣いた。

●●大学に入れなかったとしても、どうしてせめて1ヶ月辛抱してくれなかった。
ここまで長く頑張ってこられたあなたが、どうして。
健康な子でも第一志望に入れなかったというのはショックだから、それは分かる。
でも1ヶ月もすれば、結構適応しただろうし、1ヶ月くらい授業を受けてからやっぱりもう1浪する、と言ってもよかった。
1時間も授業を受けず、死ななくてもよかったじゃない。
せめて死にたくなっちゃった、って病院に電話くれたら「すぐ帰っておいで」と言ったのに。
「死なない?死なない?」って薬をのむのも怖がったくせに、死ぬ勇気なんてなかったくせに。

彼にもしもう一度会うことが叶うなら、胸倉を掴んで怒ると同時に、訊いてみたい。
私の治療はどこか間違っていたの?
もし彼が、あそこまで回復しなくて、もっと人格水準も下がって欠陥状態で帰れなくなり、病棟に何年も入院し続けていれば、今も生命は保たれていたかもしれない。
そのほうが、よかったと言うの?どうしたら、よかったの?あなたはどうして欲しかったの?

それも訊けない今、彼がもう一度現れて、治療をすることがあるとしたら、やっぱり私は同じようにしかやれないだろう。
普通の日常生活を送れるようにすること、家族と過ごせるようにすること、進学や卒業を可能にすること、症状をコントロールして仕事に就けるようにすること。
精神科治療の目標は、それしかないのだから。





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最終更新日  2007年04月16日 00時39分11秒
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