|
カテゴリ:ペルーの遺跡
世界の新七不思議の選考投票の最終21候補にマチュピチュが入っていた(エアプランツさんのサイトに教えられた)。
驚くべきこともない。 世界的に見てもマチュピチュは大変人気があるのだ。 ただどうしてナスカの地上絵が入っていないのだろう・・。 ふと思うこのリスト・・実は一国、一つしかは行っていないのだ。 NHKの行ってみたい世界遺産には10位以内にペルーからマチュピチュとナスカの地上絵が入っていたのに! メキシコからはチチェンイッツア。 でも個人的趣味としてはマヤの遺跡としてはチチェンイッツアよりもパレンケの方が好き。 チチェンイツッアはトルテカ文明の影響を受けて、建築は立派だけど、遺跡の管理がなっていなく、好きになれなかった。 ジャングルの中に眠るパレンケ遺跡(マヤの時代には森林破壊により周辺には木々がなかっという)が何よりも素敵に思えた。 それはともかく・・ この候補になっている場所の説明、いろいろその場所の説明が出てくるのだが、これが・・ヒドイ!! どっからこんな説明が出てくるのか! This extraordinary settlement lies halfway up the Andes Plateau, deep in the Amazon jungle and above the Urubamba River. It was probably abandoned by the Incas because of a smallpox outbreak and, after the Spanish defeated the Incan Empire あのあたりはアマゾンじゃないんですけど・・。Ceja de Selvaとよばれる、ジャングルの入り口でアマゾンにはいたっていない。 Machu Picchu (1460-1470), Peru 1450年前後に立てられたのはほぼ間違いない。パチャクテック皇帝の時代に御用邸・信仰の場としてとして築かれたと考えられている。 でも70年までとは・・。 実際には未完の建築、1527年ころ亡くなったとされるワイナカパックの時代の土器が発見されているので実際には人々は1530年前後から1530年代初頭に放棄されたと思われる。 マチュピチュから人が消えた理由は? It was probably abandoned by the Incas because of a smallpox outbreak インカの人々がマチュピチュを放棄したのは天然痘の流行のためであろう。 ワイナカッパクが帰途に滞在中にスペイン人たちの到着以前に先住民を通じて伝播した天然痘にかかってワイナカパックが病死したといわれる。 ただ先史時代にはアンデス地域は人々が集住していなかったためそれほど急速にはウィルスは広まらなかったと考えれ、ヨーロッパから持ち込まれた伝染病かかる先住民が増えるのは植民地支配体制がしかれ、先住民の強制集重労働が始まってからであるというのが定説。 では、なぜ放棄されたのか? よくあるの理由の一つがスペイン人征服によりインカ帝国が弱体化したとういもの、もう一つは皇位の継承争いの戦争により皇族たちに余裕がなくなり、マチュピチュを訪れなくなったということ。 マチュピチュのガイドブックは日本語でも出ているけど正直言って、今挙げたようなことを検討しているものは全くない。 数十年前の古い説ばかり唄っている。 ここ10数年、マチュピチュの研究は進んでいるのです。 英語だと最新の研究を取り入れたガイドブックがある。 最新のがアマゾンで買えるけど、楽天には直接貼れないのでこちらのリンクからどうぞ・・。 読むのに骨が折れるかもしれないけど絶対にお勧め。 なお、世界の新七不思議は2007年、7月7日にポルトガルのリスボンにて正式に宣言されるのだそう。07/07/07の日に。 世界遺産クスコの退屈な日常もよろしく! ブログランキングranQ アンデスの考古学 ペルーー太平洋とアンデスの国 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ペルーの遺跡] カテゴリの最新記事
|