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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:心つくり
お誕生日を今年も無事迎えることができて、この日目を覚ますことができた事にまず感謝して起きました。 お友達からもお電話を頂いたり、メールやカードが届いたり、プレゼントを頂いたりと、『幸せ』が降り注ぐような一日の始まりで、至福の時を過ごすことができました。 皆様本当にありがとうございます。 そして、これは子供を産んでから欠かさずやっていること・・・・・。 『39年前の今日、あんなにも大変な思いで10ヶ月と10日お胎の中で育んで、私をこの世に産み出してくれてありがとう。お陰で、こうして子供の元気な顔を見る事ができます。そして今日まで支え育てて頂いたからこそ、こうして良き仲間と巡り合い、良き人生を歩む事ができます。本当にありがとう・・・・。』 と、お礼の言葉を述べる事。 そう、誕生日は私が生まれたという事だけでなく、命がけで母が私を産んでくれた母の記念日でもあるのです。 その事に、私は子供を産むまで気が付きませんでした。 一人で大きくなったつもりで、横柄な態度をとっておりました。 その反省も込めて・・・、しっかりお礼を伝える事で、またこの一年を無事歩いていけるような気がします。 そして、天からのプレゼントは・・・。 『朝から晩までワクワク感が続くなんてすごいですね。 という、月子さんとおっしゃる方のコメントを通して、届けられました。(ありがとうございます。) 一日をずーっとワクワクしながら過ごしていると書いた1/16の日記に対するコメントだったのですが、この答えを昨日一日ずっと考える事ができました。 『自分が今有る幸せの理由探し』を、一日中心に鍵手のように引っ掛けて自問自答を繰り返すことは、高揚感や忙しさなどに取り紛れて忘れておりました。 本当は、一番しなくてはいけない事なのにね。 『朝から晩までワクワク感が続くなんてすごいですね。 これは、正直一日考えた今でも、答えを見つけることができませんでした。私の中にパワーが湧いてくるという感覚ではなく、ワクワクした感情も、そのパワーも、与えられるといった感じの方が強いかもしれません。 与えて頂いたり降ってきたりする源は、『人智を越えた大いなるもの』のような気がするのです。そして、そこから周りの方々や物などを通して具現化されているような気がします。『この世にある物は全て仏』という言葉の通り、日々何かしらの教えとパワー、プレゼントを頂いているように感じます。 『家事や子育てで疲れたり嫌になったりはしないのですか? そうですよね。 ほんの数年前の私は、いつもそう思いながら日々過ごしていました。 20歳代から振り返ると、あまりにも話しが長くなってしまうので・・・・、これは割愛。 30歳の時、結婚する3ヶ月前に髄膜炎を煩いました。結婚式を目前に控え、オリジナルウェディングをするつもりでいろいろと計画していたので、その計画をベッドの上で遂行せざるおえない事。住居の事、これからの事等など・・・、病気を呪い、良くしてくださっているお医者様を怨み、元気な人を羨み、顔付きまでもが変わってしまうほど「嫌な人」で数ヶ月を過ごしました。 結婚後、それまでの生活からの激変と度重なる流産死産に身も心も追い詰められ、薬を飲んでリストカットしたこともあります。 その報いからか事故に遭い左足を損傷した時にも、「車椅子で過ごすことを覚悟してください」とおっしゃる先生に散々悪態をつきました。 癌だと言われたときには、死の恐怖を抱えながらも、ようやくこの苦しい人生とさよならできるという気持ちもありました。 そんな時、祖母の部屋から硫黄島で42歳で戦死した祖父の記録や手紙、祖母の日記などが見つかりました。妻子を残して死んでいかなくてはならない祖父の思い、それを検閲があるため赤裸々と書く事は許されない時代。 ただただ、子供達を立派に育てて欲しい。次の世を担う子供達は宝なのだから・・・。そんな言葉が多数散りばめられていました。 こんな思いをして命を繋いでくれたのに、それを無碍にしてはならないのではないか? そう漠然と感じはじめてから、自分で自分をがんじがらめにして、自分の身を傷つけまくった5年にも及ぶ長いトンネルの出口の光が見えた気がします。 その後、これまた奇跡的な妊娠出産を経験することで、『私は生きているのではない。生かされている』という想いが強くなり、今までは私を苦しめる辛い事や悲しい事、嫌な事等なども受け容れて、消化して、人生の塩コショウとして捉えられるようになってきました。 禅語を学んだり、良いお友達から影響を頂いたり支えていただいたり、多くの方々から生きる智慧を頂いたりしながら、本当の意味でトンネルを抜け出すことができたのは、2007年になってから・・・。 それまでの自分が今の私を見たら、何と言うでしょう・・・・・。 でも、今の私からそれまでの自分を見て言える事は、「それだけ悩み苦しんだからこそ、得た今の自分。しっかり見極めなさい。必ず道は開けるから・・・。」ということ。 そして、これは今ある自分に対しても同じ事が言える。 今目の前にある塩コショウの苦難は、私の本気を試すための試金石。 この苦難や試練を乗り越えられたなら、その先に絶対に次への扉が見つかるはず。 時に空元気もあるけれど、それも元気!時につくり笑顔もあるけれど、それも笑顔! 自分自身の心が決して驕り高ぶる事がないように・・・・、ひとりよがりにならないように・・・・、こうして考える時を与えてくださった事に感謝します。 (今日の日記は自分自身への自戒も込めてのものですので、お見苦しい点が多々ありますことをどうぞお許しくださいませ。)
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