心配や不安への対応方法①
心配や不安は注意喚起の黄色信号を発してくれています。
こういう心配や不安が湧き起こらないと最悪命にかかわります。
例えば戸締りやガスの元栓の締め忘れが気になる人は、盗難やガス爆発を未然に予防するために大いに役に立っています。
自動車の運転をする人は、交差点で右折する場合はとても緊張します。
そのおかげで慎重に運転して事故防止に役立っています。
心配や不安を無視して自分勝手な運転をすると重大事故につながります。
心配や不安は忌み嫌うものではなく、私たちの生活になくてはならないものだという認識を新たにする必要があります。常に私たちに寄り添ってサポートしてくれているのです。
心配や不安への対応方法②
不安が発生すると、まずそこに注意や意識を真剣に集中させなければなりません。
他のことを考えながら、安易な気持ちで注意を向けるのは問題です。
他のことを考えながら、適当に確認している場合は、迷いが生じます。
この場合、強迫性障害を持たない人でも、再確認のために引き返すことがあります。
心配や不安を丁寧に取り扱う必要があります。
森田を学習すると心配や不安とあまり深く関わってはいけないと誤解している人がいます。
ここは勘違いしやすいところだと思います。
集談会で声をあげて呼称確認をするという話を聞いたことがあります。
これは注意や意識を「今、ここ」に集中するために有効だと思っております。
心配や不安への対応方法③
心配や不安に注意や意識を集中させて安全確認を終えたならば、その不安はお役御免になります。
その不安からはすぐに離れる必要があります。
時間の経過とともに私たちを取り巻く環境や状況は刻々と変化しています。
もたもたしていると次の不安への対応が遅れてしまいます。
神経症に陥ると、自分が一番気になる不安や恐怖、不快感といつまでも関わっています。
森田では神経症的な不安は欲望の反面として湧き起こってくるものと言われています。
神経症的な不安自体は取り除くことはできないものです。
にもかかわらずいつまでも不安を相手に格闘しているということは、ミイラ取りがミイラになるようなものです。
不安には現実的な不安もあります。現実的な不安は積極的に取り除くと、問題がこじれる前に未然に予防することができます。
現実的な不安はその都度取り除いていく。片づいたら直ちに次の不安に向かう。
神経症的な不安はそのまま持ち抱えて、欲求や欲望の方に目を向けていく。
ここでのポイントは、一つの不安に一旦集中することは必要ですが、いつまでも関わり続けてはいけないということです。
お役御免になれば直ちに待ち構えている次の不安に対応していくことが肝心です。
次の不安が湧き上がらないというのは、生活が停滞していることが考えられます。