鎌田實医師のお話です。
24歳の女性が目の病気にかかった。ぶどう膜炎だそうだ。
ぶどう膜とは、眼球の内部をおおっている脈絡膜と毛様体、虹彩の総称。目のほかの部分よりも血管がたくさんあるため、炎症を起こしやすい。
炎症の場所や程度によっては網膜剥離、白内障、緑内障につながり失明することもあるという。
この方の場合はその中でも原田病という病気だ。
体内に侵入した細菌やウィルスをやっつける免疫システムに異常が生じ、自分自身を攻撃してしまう自己免疫疾患の一つです。
白血球がぶどう膜を破壊していく病気である。
この方は徐々に視力が無くなり35歳で全盲になった。
この方がこんなことを言われている。
全盲になったら案外しんどくないんですよ。
それまでがえらかった。子どもは小さいし、自分の障害を認められなくて、相変わらず隠そうとしているし、杖をつくのもめちゃめちゃ恥ずかしかった。
だから、知り合いに会うのがイヤですね。必ず言われるんですよ。
「若いのにかわいそうにねえ」って。同情されるのが嫌いやったから、あの言葉が一番きつかった。
母親や知り合いに連れられて、神様参りをやったのもその時分でした。
眼病に効く、霊水で有名な京都の柳谷観音に行った。
ひょっとしたら狐か狸でもついてるのとちゃうかと、テレビで見た霊能師のところへ月に2回ずつ半年通った。
目が治ると言われたらどこへでも行った時期が3年から4年はあった。
全盲になってそんな状態を抜け出すことができた。
覚悟を決めることができたからだ。私はこの体で生きていくしかないのだ。
だったらウジウジせずに、前向きに明るく生きて一度きりの人生を思い切り楽しんでやろうと気持ちを切り替えた。
今では盲導犬を連れて外出し、音声パソコンを使いこなしているという。
(なげださない 鎌田實 集英社参照)
この話は神経症で苦しんでいる人に勇気を与える話である。
この人のように覚悟して症状を治すことをやめる。
玉野井幹雄氏は神経症でお先真っ暗になっても誰でも「ゆきづまったまま生きていく」という道が残されていると言われている。
神経症は確かに苦しいけれども、治すことをやめて、神経症を持ったまま生きていくのだという覚悟を固める。
そして自分の持って生まれた神経質性格を活かして、自分のできることに目を向けて生きていく。
森田先生曰く。
症状が治るか治らないかの境目は、苦痛をなくしよう、逃れようとしている間は10年でも、20年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事もできぬ。仕方ないと知り分け、往生した時はその日から治るのである。すなわち「逃げようとする」か、「踏みとどまる」かが、治ると治らないとの境である。
(森田正馬全集第5巻 389ページ)