目的本位について
玉野井幹雄氏は「目的本位」を次のように説明されています。この言葉は、生活の発見会では、症状本位とか気分本位という言葉に対して使われるようになったものです。神経症を克服する過程で、症状有無とか、気分の良し悪しを重視するのではなく、目的を達成したかどうかを重視するように指導したところから、「目的本位」という言葉が使われるようになったと記憶しています。神経症で苦しんでいる人は、苦しい境地から抜け出したい一心で集談会にやってくるわけですが、そのような人に対して、私たちはよく「苦しいままにやるべきことをやる」ように言います。実際にそうやっていると、ある程度症状が軽快し、苦しみも軽くなりますが、それ以上には進まないところにぶつかるものです。なぜかと言うと、「症状を治すことを目的にした行動」をしているからであります。なぜ、症状を治すための行動をしてはいけないのかと言いますと、神経症の症状というものは、異常ではないものを異常だと思い込んで、それを取り除こうとして悪戦苦闘しているものですから、もともと治す対象にしてはいけないものだからであります。ですから、それを治そうとすること自体が間違っているのであって、いつまでたっても治らないのが当然です。そこで治すことを一時棚上げして、他のことに精進するようになれば、自然に症状のことを忘れるようになって、結果的に解決するという性質のものであります。ですから、症状治しの行動をしている間は、けっして解決することはないのであります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 32ページ)症状を治すための行動はどんなことになるのか。例えば掃除をする場合、部屋の中を綺麗にするという目的が希薄なために、不十分な掃除になります。後で他の人が掃除のやり直しをするようなことが起きます。その人に掃除を頼まなない方がよかったということになります。また症状を治すためには実践課題を作ってそれに取り組むことが有効だと聞いて、今まで奥さんのやっていた掃除、洗濯、食事作りなど家事一切を自分の実践課題にしてしまった人がいました。奥さんの生活リズムがくずれてしまいました。またやることなすこと手抜きが多くて傍で見ているとイライラして夫婦喧嘩が絶えなくなったということです。治すための行動は注意や意識が行動内容に当たっているのではなく、自分の症状が軽快したかどうかに向いているのです。ですから行動そのものは問題だらけということになります。森田でいう行動とは、日常生活の中で、必要なときに、必要に応じて、必要なだけの行動を心がけるということです。そのためには規則正しい生活習慣を作り上げることが効果的です。何も考えなくても自然に体が動いてくるという状態に持っていくことです。河井寛次郎氏のいう「手考足思」の状態に持っていくことです。そうなれば前頭前野は休息状態となり、頭頂葉や側頭葉が盛んに活動してくれるようになります。