カテゴリ:行動のポイント
1968年(昭和48年)にメキシコでオリンピックが行われた。
体操の男子の個人総合優勝はソ連のミハエル・ボローニンと日本の加藤沢男の間で熾烈な戦いが繰り広げられた。 最後の1種目を残した時点で、ボローニンが加藤沢男を0.35上回っていた。 ボローニンの最後の種目はあん馬だった。極度の緊張のため2度ぼど取っ手に足をかけてしまった。それでも9.50の高得点であった。 加藤沢男が9.9をだせば逆転優勝となるが、ミスがほとんど許されない緊迫した状況であった。 大観衆が見守る中で加藤沢男は9.9を出して個人総合優勝を果たした。 4年後のミュンヘン五輪では、最終種目を残して加藤沢男は3位であった。 加藤沢男は最後の鉄棒で、ダイナミックな演技を披露し、フィニッシュは、「後方抱え込み2回宙返り」をピタリと決めて、2大会連続の個人総合優勝を決めている。超人ワザである。 加藤沢男は「20世紀を代表する25選手」のなかに日本人としては唯一選ばれている。 2001年には、国際体操殿堂入りし、シドニー五輪の際には、選手村の一角に加藤沢男の栄誉を称えた「サワオ・カトウ通り」が作られた。 絵にかいたような逆転優勝だが、加藤沢男には勝負を決める土壇場での緊張感はなかったのだろうか。 これに対して、「僕はプレッシャーに弱くて得点を意識すると満足な演技ができないタイプだった。緊張のあまり、これから演技を行おうとするあん馬が、ぎゅと小さく縮まって飛びつけないような錯覚に襲われたことさえあります」 つまりここ一番の勝負に向かうとき、人一倍大きなプレッシャーを感じていたのである。 それを乗り越えて練習以上のパフォーマンスをあげることができたのはなぜか。 加藤沢男氏曰く。それを克服してくれるのは練習だけですね。 さらに言えば「失敗の練習」を積み重ねているということです。 これは聞いたことがない言葉です。 「私は、練習とは、失敗を自分の(感覚の)範囲に入れてしまうことだと思っているんですよ。 練習する時、ふつう「いいことばっかり」考えてやりますよね。 要するに、成功することばかりを考えて練習しているわけです。 でも、人間なのだから、失敗は必ずあるのです。 私は、逆に、失敗をする練習を繰り返しました」 「失敗とは選手にとって一番大切なものです。 ただし、失敗をしっ放しにしておくのではなくて、その感覚を自分のものにする。 あらゆる角度で失敗をして、その感覚を自分のものにしておくことが大切です。 それが選手にとっての財産だと私は思っています」 奥の深い言葉です。 普通の選手は成功するために練習をします。 ところがいかんせん、数多くのミスや失敗が待ち構えています。 加藤氏は成功することよりも、ミスや失敗を積み重ねることから学ぶことが多いと言われています。 数多くのミスや失敗の体験が貴重なのです。 障害物が何もないことは大変喜ばしいことのように思えます。 これは認識の誤りです。 数多くの失敗の経験を持っていることが、ここ一番の勝負の時に大きな支えとなって効いてくる。 ミスや失敗をできるだけ多く経験して、その原因を分析して反面教師として活かしている人は、プレッシャーに押しつぶされそうになったときに底力が出てくる。 我々はミスや失敗を避けて、成功する事だけを求めてしまう傾向があるが、それはそもそも出発点が間違っているのである。 (あの一瞬 門田隆将 新潮社 参照) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.07.24 06:38:30
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