カテゴリ:生の欲望の発揮
曽野綾子さんが、宮川優さんの詩を紹介されている。
凧が空高く飛べるのは 誰かが糸を 引っぱっているから でも凧は その糸さえなければ もっと自由に 空を飛べると 思っている その糸がなければ 地上に 落ちてしまうのも 知らずに 凧の糸は、失敗、苦労、不運、貧乏、家族に対する扶養義務、自分や家族の病気に対する精神的な支援、理解されないこと、誤解されること、などのことだ。 それらは確かに自由を縛るようには見えるが、その重い糸に縛られた時に、初めて凧は強風の青空に昂然と舞うのである。 (善人はなぜまわりの人を不幸にするのか 曽野綾子 祥伝社黄金文庫 176ページ) 苦悩というのは、人間にとって極めて大切な要素です。 苦悩のない人間は、人間性を失う。神も人も見えなくなる。 (同書 58ページ) 神経症を抱える、承服しがたい自然災害、理不尽な他人の仕打ち、過酷な運命、命にかかわるような病気やケガ、打開策が見つからない問題を抱えることは、人間誰にも起きます。 それらを忌み嫌い否定することが多いと思います。 しかし否定するばかりでは将来につながりません。 神経症は神様が自分に与えてくれたギフトや試練ととらえるのは如何でしょうか。 私は対人恐怖症で苦しんだ経験は、無駄ではなかったと思います。 この苦しみがなかったとしたら、森田理論学習をすることもなかったでしょう。 生きづらさの原因が分からないまま失意の人生で終っていたでしょう。 森田理論学習によって、神経質性格者としての生き方を見つけたことは、最大の幸福をもたらしました。 また自分の苦しみを開示して人様のお役に立つ活動をすることで生きがいを持つことができました。 どんなに忌まわしい過去を持っていても、人生に無駄なこと、無意味なことは一つもない。 そのためには一つ条件があります。 自分の性格、容姿、能力、境遇、環境、試練をあるがままに受け入れることです。 膝をかがめてエネルギーをため込み、後は思い切って飛び上がることです。 雨降って地固まり、人間としてこの世に生を受けたことに対して感謝できるようになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.10 06:30:01
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