カテゴリ:生の欲望の発揮
渡辺和子さんのお話です。
第2次大戦中ナチスに捉えられ、恐怖を絶えず味わいながら、九死に一生を得て終戦を迎えた人に、ヴィクター・フランクルというオーストリアの精神科医がいます。過酷な状況の中で、最後まで生き延びた人もいれば、力尽きて死んでいった人もいました。 その両者を分けたのは、決して体の頑強さではなかったと述べています。 では、何だったのでしょうか。 それは、「希望」の有る無しでした。 「この戦争がいつか必ず終わり、妻子に再び逢える」という希望。 「戦争が終わったら、やりかけていた仕事を完成させよう」という希望。 それらは、収容所の中にいて、ほとんど夢のようなもの、実現不可能と思えるものでした。にもかかわらず、その希望を持ち続けた人々のみが、生きて終戦を迎えることができたのでした。 (目に見えないけれど大切なもの 渡辺和子 PHP文庫) ここで「希望」と言われていることは、課題、目標、目的、夢等のことだと思います。森田でいえば「生の欲望」のことです。 生死を分ける過酷な環境に置かれた場合、希望を見失わなかった人が生き延びることができたというのは驚きです。 そういえばアルプス登山では、登頂した後に次の目標を持っていないと、たとえ登頂に成功しても不覚にも下山の途中で遭難してしまう場合があるそうです。 緊張感がなくなり、急に弛緩状態に陥ることは、我々が考えている以上に危険なことだと思われます。 アウシュビッツの収容所で、ある人は次のような希望を持って生き抜いたという。 私は、収容所での苦しみを喜んで苦しみますから、その代わりに、私の愛する母親の苦しみを、その分だけ和らげてやってください。 もし、ガス部屋へ送られて死なねばならないとしたら、どうぞ、私の生命の短くなった分だけ、どこかの収容所に入れられているだろう母親の命を生き長らえさせてください。 自分の苦しみも死も無意味なものとならないようにしたいという希望に支えられて、この人は終戦までの地獄のような日々を生き続けることができたそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.11 06:32:17
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