中谷彰宏氏のお話です。
人生は1コマ1コマ撮影するアニメーションのようなものである。
アニメーション映画は、止まっている写真をつなぎあわせることで、動いているように見えます。1枚撮って、少し動かして、また一枚撮る。
そういう作業を24回繰り返して、ようやく1秒です。
1分の映像をつくるために、1440回繰り返さなければなりません。
他人から見て、とんとん拍子に成功している人も、1コマ1コマ、止まっているものを、コツコツつなぎ合わせているだけなのですね。
(人を許すことで人は許される 中谷彰宏 53ページ)
感動的なアニメ作品をみて涙することがあります。
細かいこと、面倒なこと、根気のいる仕事を丁寧に積み重ねによって、人を感動させる作品が生まれているようです。
これを面倒だといって、24回のところを12回に減らすと、ぎこちない不自然な作品になってしまいます。
そんな作品を長時間見続けるとストレスがたまります。
この話は私たちでいえば、雑事や雑仕事を、わずらわしい、めんどうだ、やる気が起きないといっていい加減に取り扱っていては、面白いことは何もなくなるということだと思います。
暇をもてあまし、退屈で面白いことが何もない。
生きることはつらいことばかりだという人は、雑事や雑仕事を軽視している人かもしれません。
三重野悌次郎氏は、人生は雑事の積み重ねですと言われていました。
自分の目の前の雑事の他に人生はありません。雑事の代表は家事です。
炊事、洗濯、掃除、整理整頓など家事は雑事の集大成です。
時々、「こんなつまらないことばかりしている自分が情けない。社会から取り残されているようで肩身が狭い。社会に出てバリバリ働きたい」という人がいます。
社会に出て働くことに反対ではありません。
だが、家事を「こんなつまらないこと」という考え方には反対です。
そういう人は、社会に出ても、雑仕事をつまらない仕事と思うでしょう。
雑事に真剣に取り組めば、必ず興味が湧いてきます。
森田先生のいうお使い根性で働けばすべてがつまらないのです。
ともあれ、雑事に喜びを見出す人は幸せな人です。
(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社)
先日さし穂したアジサイの鉢上げをしました。
どんな花を咲かせてくれるのか、今から楽しみです。