カテゴリ:森田療法と他の療法について
普通自分が神経症で苦しんでいるのは、親の子育てに問題があったからだと考えます。これは、フロイトの提唱した原因―結果論の考え方です。
この考え方に立つと、親の子育てを非難・攻撃するようになります。 親を非難・攻撃したところで、症状が改善できるわけではありません。 いつまでも親といがみ合い、親子の人間関係はますます悪化しそのうち犬猿の仲となります。 それだけでは済みません。 今度は自分が親となったとき、自分の子どもに対して同じような子育てをするようになります。 その結果子どもがさまざまな問題を抱えて苦しみ、親である自分を恨むようになるのです。負の連鎖が繰り返されるのです。 確かに、幼児期のなんらかの経験が現在に影響を及ぼしている可能性はゼロではありません。 しかし、その人の現在の行動を決めているのは、現在までのありとあらゆる学習体験であり、家庭環境であり、対人関係であり、遺伝的要因であり、それに偶然が重なったものです。 つまり、なにが直接的な原因であるかということの特定は不可能です。 アドラーの考え方は原因―結果論ではなく「目的論」という考え方をします。 過去にこういうことがあったから、今現在こういう問題を抱えて苦しんでいるのだというのではなく、行動するにあたっては必ず何らかの「目的」があり、その「目的」を達成するために、過去の問題行動を利用しているのだという考え方です。 アドラーの「目的論」に添って自分を分析してみました。 私は他人から非難・否定されて、傷つくことに耐えがたい苦痛を感じます。 他人にうかつに近づいていくと、いつか回復できないような大きな痛手を負ってしまうだろう。傷つかないためには、どうするか。 自分の方から積極的に他人に近づかないようにした方がよい。 そうだ。車間距離を十分に確保すれば他人の言動で自分が傷付くことはない。 他人が自分のテリトリーに入り込込んできたときは、排除するようにした方がよい。そういう気持ち(目的を持って)で他人と付き合ってきたわけです。 いつも警戒態勢を崩さないので、他人との付き合いは希薄になります。 対人関係はぎくしゃくし、対立的になります。最後には孤立してきたのです。 しかし、人間には「所属欲求」があります。 人の輪に加わっていないと、生きていけません。自分の居場所がなくなります。 そのために私がとった対策は、みんながびっくりするようなことをして、居場所を確保しようとしたのです。 この対策は途方もない労力がかかる割には期待したほどの成果に結びつかない。 居場所が確保できないばかりか、総スカンを食らいました。 これは今考えるとやり方が悪かったとしか言いようがない。 どうすればよかったのか。 仕事で自分に与えられた責任をきちんと果たす。 常識的な付き合いを欠かさない。相手の役に立つようなことをする。 人間関係ではあいさつをきちんとする。 相手が不愉快になるようなことは口にしないようにする。 不快な感情を爆発させるようなことをしない。 人間としてあたりまえのことをきちんとこなしていれば、自分の居場所は確保できたのではないかと思われます。 (アドラー実践講義 幸せに生きる 向後千春 技術評論社 参照) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.09.11 06:38:29
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