カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
森田理論を学習していると「自覚」という言葉がよく出てくる。
「自覚」することが大事だといわれるが、一体どうすればよいのでしょうか。 森田先生は次のように説明されている。 結局われわれは、静かに自分を見つめるときに、自分は果たして、何を求めつつあるかということを知らなければならない。 たとえばわれわれが、不眠を治したいということは、何を意味するのであるか。 単に不眠そのものが苦しくて、いたずらに惰眠を貪りたいというならば、酒や阿片を飲んで、酔生夢死すればよい。 もし深く自分自身を考えてみれば、決してそんなことはない。 不眠を恐れるのは、実は翌日の仕事の能率の上がらないことを恐れ、あるいは通俗医学でおどかされるように、病的になり、身体がしだいに衰弱して、取り返しのつかなくなるのを取り越し苦労するからである。 ある患者は、「5昼夜間、不眠が続けば死ぬ」ということを雑誌で読んで、非常な恐怖に襲われたことがある。 不眠そのものが苦しいのではなく、ただその結果が恐ろしいのである。 このような関係であるから、もし一度不眠が恐れるに足らぬことを知り、さらに一歩を進めて、不眠を逆用して、ますます仕事の能率を上げうるということを体得するならば、そこにはじめて心機一転して、ほとんど奇蹟的に、従来の不眠がなくなるのである。 これは言い換えればわれわれが求めようとしたところは、眠りを貪るのではなく、実はより良く生きようとする生の欲望であった、ということを自覚することから起こることである。 (現代に生きる森田正馬のことば2 白揚社 182ページ) 森田先生は、不眠で苦しいという事実を実感していても、本当の意味で「自覚」しているのではないと言われています。 不眠が気になるのは、その裏により良く生きたいという生の欲望があるからだ。 勉強や仕事で成果を上げたいという強い欲望があるからこそ、不眠で能率が下がってしまうことを心配しているのである。 そのからくりに気づいたとき、「自覚」ができたのだと説明されています。 「自覚」ができると努力の方向が違ってきます。 赤面恐怖の人が、人前で顔が赤くなることを気にしているだけでは「自覚」は深まらない。 吃音恐怖の人が、人前でどもってしまうことを気にしているだけでは「自覚」は深まらない。 これらは、人前で堂々として、立派でありたいという強い生の欲望があるために、心配や不安が強まっているのです。 恐怖のからくりが分かったとき「自覚」ができたと言うのである。 「自覚」ができた人は、過度に不安にとらわれることはなくなります。 「自覚」を深めるためには、ことさら不安だけを見つめるのではなく、生の欲望の方面からも見つめる必要があるということになります。 森田ではこの考え方を両面観といいます。 ことさら不安だけを問題視していると神経症の蟻地獄に落ちてしまいます。 一旦アリ地獄に落ちてしまうと、もがけばもがくほど深みにはまってしまいます。 そうならないためにはこの両面観の考え方を身に着ける必要があります。 例えば、ガンになっているのではないかと心配になることがあります。 これは主観的な事実です。主観的な事実は否定してはいけません。 しかしこれだけでガンだと決めつけてしまうことはまずいことになります。 この場合は、ガン専門医の検査を受ける必要があります。 ガン専門医が第3者の視点から診断を下されるのは客観的な事実です。 それを受けて私たちは主観的な事実と客観的な事実を統合させる必要があります。 両面観で判断して、適切に行動できたとき「自覚」が深まっているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.21 06:45:55
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