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カテゴリ:言の葉
これら九つの要素は、私たちの心情に入り込んでいる。
私たちはそうした物語が好きだし、面白いし、くすぐられ、満足させられ、カタルシスを味わうのだ。 前回の引用の続き *これらの要素には、氏が芸術小説として扱っている、大衆小説と対照的な位置にあるという作品にも通じるものがあるし、衒学的に考えれば、さまざまな批判も可能であろう。たとえば小島政二郎は、芸術小説と大衆小説の本質的差違は芸術小説が「人間性の真」の探求をしているところにあると述べているのだが、この作品にも人間性を追求する姿勢は保たれており、・・・(以下略) 物語に人は学び(まねび)、また、事件や人を真似て物語は新しく生産され続ける。人はその循環に位置しているというわけなのだろう。 物事を言語化するとき、人は解放される。 俗情の浄化にも、つながるかも知れない。 「人間性の真」を探求するなら、物語性を批判する目も養わねばならないだろう。 またこのような文学が平安朝より語り継がれて、もはや私たちの血肉にもなっていると思われるのだが、そうした場合、日本人像を形成してきたものの姿も、このような大衆文学や文化に表れているのかも知れない。 イラクで拘束されていた香田証生さんが、無惨な遺体で発見された。テロリストたちのメッセージは、残酷で明白だ。 五十余年「戦争」を知らないできたニッポンが、世界の現実を見せつけられ、これからどのような形にせよ「戦争」と係わっていかねばならなくなっているのだ。 幼いといえば、小泉首相だって、私たちだって幼い。 殺戮の地に引き寄せられるように一人で迷い込んで行った24歳の若者が、それを身をもって教えてくれた。 「すみませんでした」と小さく呟いて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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