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カテゴリ:言の葉
「悪の哲学ノート」中村雄二郎著(岩波書店)より抜書きの続き。
<被る悪> *悪が道徳的悪(罪)であるのに対して苦しみとは<被る悪>である。 *<道徳的悪>と<被る悪>は悪魔的な力ともいうべきものの能動と受動という表裏の関係にあり、与苦と受苦は根源あるいは秘密のうちにつながっている。 *<被る悪の苦しみ> 悪は存在する。が、なぜ存在するかわからない。にもかかわらず、それが存在する以上、それと闘わねばならぬこと。 悪を説明不可能な<生(なま)の事実>ととらえていること。 <説明不可能な>というのは、高度の不透明性と多義性を強調したものであり、理論的な究明の断念を意味するものではない。 *存在はみずからの限界と無以外にも悪性をふくんではいないだろうか。存在の積極性そのもののうちにも、なにかしら根本的な禍悪があるのではないだろうか。 *<非和解性の原理>と<透明化される悪> まだまだ難しくてよくわからないのだが、ここまで一応メモしておこう。 悪というのは、ほんとに身近に存在するものだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.12.23 15:08:59
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