日本の「冬ソナ」ブームと韓国
日本で話題となっているという「冬のソナタ」全20話をビデオで観た。数ヶ月前に友達に薦められたが、その時はなんとなく韓国モノというので懸念してしまった。約17年前に韓国語は勿論のこと、韓国について勉強し、2度の渡韓した結果は私の韓国嫌いである。知れば知るほど両国の違いを感じ、正に「近くて遠い国」であった。「本音とたてまえ」の国韓国は当時、日本を追い越せ・追い抜けとそのパワーは凄かった。多くの学生達は日本語を学び日本の事を勉強し、よく日本を知っていた。私が韓国を訪れた時も私の格好からすぐに日本人と判り、日本語で話し掛けてきた。夏休みでも大学の図書館は一心に勉強する学生達で座る席もない程。日本の大学生との違いを目の当たりに見て、本当に韓国は日本を抜いてアジア一の国家に成長していくのではないかと思わずにはいられなかった。知り合う人達みな親切で、また日本人女子大生二人組だった私と友達は韓国男性に好かれた。そこで会ったばかりにも拘らず、色んなところへ案内してくれた。そんな私の韓国熱を英語科の同級生達は不思議そうに見ていた。サークル関係で日本に留学中の韓国人学生とも仲良くなった。その頃、私の中でアジア人意識が高くなり、アジアに目が向かっていた。というのも、それまでアメリカだけ見つづけていた私が高校卒業した春、念願のアメリカ旅行をし、その時自分がどんなにアメリカが好きでアメリカ人のように振舞っても、アメリカ人は私を日本人としか見ていない事を痛感したからだ。アメリカ人よりは付き合いやすいと思ったのだが、実はまったく違った。人間、酒が入ると本音がでる。韓国人学生が酔うと必ずといってよいほど、両国間の違いの討論が始まった。そしてその究極は40年間に措ける日本の植民地時代が出てくる。「私のせいじゃない」では済まされない、韓国人の奥底にある感情がどんなに仲良くなっても消えない事を知り、だんだん嫌になって行った。やがて私はアメリカ留学の為、渡米した。留学先では最初は韓国人学生とも仲良くしようと努力したが、彼らの民族意識は強くいつも一緒に行動していた。少し話せた韓国語も次第に忘れ、次第に私の周りから「韓国」が消えて無くなった。最近まではデリで働く日本語話せるオジさんと会話するだけだった。そして「冬ソナ」。ワールド・カップが日韓共同開催で土台が作られ、「冬ソナ」で橋が架けられたのかもしれない。政治・経済ではなく、スポーツと文化が橋渡しの役目を果たしたのなら凄い快挙である。というのも文化は普通の人たちの手によるものだからだ。ヨン様と騒ぐオバサマ達も結構。純愛ブームも結構。「冬ソナ」には奥深い意味があったのだ。「冬ソナ」のように日韓の間の冬がやがて終わるのかもしれない。私はそれを遠いアメリカから見守っていきたい。