祖母の語り2~見合、結婚、病気~
祖母の語りのつづきです。なんともうちに一族はついていなかった模様です。まぁ、同じぐらいついてない人は他にもいたんだろうなとも、思いつつも、祖先の若干の苦労をしのびつつ。■お見合い。人違いで結婚することに。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄そこで、当麻からそこで、当麻の山で嫁に行くまでね。はじめは畑作っていたんだ。畑作って。私が嫁に行くころはリンゴ作ってたんだわ。りんごやぶどうや果物にしとったんだわ、私嫁に行くころはね。そこで何年おったか。22で嫁にいったんだから。ん、それまでおったのさ。そして、Hさんって人かな、当麻の人の世話で見合いしたわけさ。そしたら、みんな、それじゃうまいこと無いかも知らんって、その話は、やめとったんだよ。そしたら今度、東京のおじさんがさ。上川まで見に行ったわけさ。そしたら、上川の店で、Mさん(祖父の弟)がおって、Mさんが、官舎の御用聞きしてたんだよね。そして配達して後の店やってたの。そしたら、「あの男ならえんでないか」ということになってさ。おじさんがね。したらやるかってことになってさ。そしてまた話し決まっていたのさ。ほだから、旭川のおじさん「お前にはすまんことした。俺が見間違えた」ていってね。よくいっとったんだ。それでも、腐れ縁でもって、へへへ。こんな、なったわけさ。■すぐ閉店、農家に。男手が次々病に。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄それからそこで、上川には一年ぐらいしかいなかったんだわ。もう、鉄道ついたら売れなくなったからね。だから、一年ぐらい、私嫁に行っても、店やっとっても、店やめてしまってさ。そして、中愛別に来て、あれなんだ、三町五反の土地が14線のおじさんの隣にあったんだよ。それ水田にして、米を作ってた。それからずっとね。そして、冬は、あそこらへんだったら山へ薪下げてもらって取りにいって、下げてもらっては買ってきて、自分炊く薪にしよったでしょ。それにも父さんいって、風邪引いてね。こわいもんだけど、我慢して、我慢して行ってたわけさ。んで、倒れてしまったんだ。もう、熱は出るし、なおらんくてね。あれしてさ。服屋が、旭川から医者連れてきたんだ。9丁目だかに外科のSだかあったんだ。その人連れてきてくれたわけさ。そしたら、手術せんかったら直らせんのだって言ってね。それから、すぐ、その、入院したんだわ。そのときは、T(上の女の子)は家において出て、K(次の女の子)がチッチャイぐらいのときかな。入院したんだね。手術して一年ぐらい入院しておったけど、そってもそんなにあれでしょ。入院したって金かかるからどうもならん。一回退院してきて、また、また悪くて、また少し入院したんだ。そんなことして、そのうちお父さんが何にもしなくなったら、今度は、Mさんのほうが一所懸命水田のほうやったでしょ。そしたら、Mさんも具合悪くなったわけさ。それでさ3人が3年続けて病院かかったんだよ。マーちゃん(末弟)も弱かったしね。旭川のほうに3人が3人して。Hって言う、20丁目のほうに藪医者って言うかなんかあったんだわ。そこへかかって、お前ら兄弟3人が3人みんな病気して、あれじゃないかって言われた。3人が3人病気して、どうもならんくなったんだ。