正しい失恋のあり方 ~ いちご100%の東城綾の場合 ~
私が「いちご100%」の西野つかさちゃんが好きだという話は何回かしたと思うのですが。この「いちご100%」の中で西野と真中淳平を争うもう一人のヒロインが東城綾で。ちなみに私は東城さんもさつきちゃんも唯ちゃんもこずえちゃんも好きです。基本的に可愛い女の子はみんな好きなんです(笑)。けど、最近の東城さんの描写を見ているとなんかすっごく違和感がありまくりなんだなぁ。とくにジャンプの今週号。人の彼氏に勝手にキスしてはいけません。私が東城さんを見ててすごく不思議に思うのは、西野さんに対する罪悪感が全くないところ。普通、人の彼氏を好きになる場合、相手の彼女に対して「申し訳ない」って思うもんじゃないの?それも全く面識がない人じゃなく、中学校時代の知り合いの西野さんなんだよ?想いがあふれて人の彼氏に告白するのもありかもしれないけど、それが全く相手の彼女に対する罪悪感なしでそれがなされる、ってのがどうもなぁ。今週号のジャンプで寝てる真中にキスするシーンで「神様、許して・・・」とか言ってるけど、そこは普通「神様、許して」じゃなく「西野さん、ごめんなさい」でしょ~が。そして「真中くん、ごめんなさい」になって当たり前なんじゃないの。それに、人にされてイヤだった事(無理やりキス)をどうして自分から人にするかなぁ。寝てる相手とはいえ。その方がたち悪いやん。私はいっつも息子に対して「自分がされて嫌な事を人にしてはいけません」って言ってるんだけど、人からされそうになって嫌だった事を、それを思い出して、今度は自分が他人にするってど~よ?真中君の気持ち、西野さんの気持ちをどうして考えないんだろ?これじゃあ、自己中って言われても仕方ないよ。だいたい、あれだけちゃんとフラれてるのに、「真中君と話すために小説を頑張る」ってどういう事よ?そりゃあ、今までずっと好きだった人に対する想いをそうそう簡単に消せないだろうけど。けどね。シビアな言い方をすれば自分は選ばれなかったんだよ。フラレるってのはそういう事。いくら自分が必要としていても。それに、最後のページのあの煽りはなに?「切ない、切ない・・・」って、、、全然せつなくないやん。自己中の描写を見せられて気分がうんざりするだけ。作者や担当がこれを本当に「切ない」を思ってるんだったら、ちょっとちゃうと思う。最近、真中がやっとこマシな人間になってきたと思ってたら、今度は東城さんがこうなるとは・・・。私がまだ結婚する前の若い頃の話。私の彼氏に「好きです」って告白してきた女の人がいて。その人は私も知ってる人で、その人も私と彼が付き合ってるって知ってたんだけど。それでも告白してきたんだ。私はその人を友達と思ってたからちょっとショックだったな。んでね。彼氏はちゃんと私がいるから、って断ってくれたんだけど。それでもシツコクまだ彼氏の事を諦めてくれなくって。私も彼も迷惑した。おまけに彼と私の共通の友人までも彼女のこと可哀相とか言い出して。私の彼に対して「あんたもあほやな。もっと告白してきた彼女の気持ちを考えてあげ」と言ったらしい。なんか、それってねぇ。付き合ってる人がいるから、ってちゃんと断ってくれた彼があほで、彼女がいるってわかってて告白してきたその人が可哀相なん?だったら私の立場はど~なるの?もし彼がその人の気持ちに応えて、付き合ってる私を捨てたら、一番可哀相なんは私やん。なのになんで、彼が責められたり、その人が同情されたりしなあかんわけ?わけわからんわ、もう。なんか今の東城さんを見ていると、その時の苦々しい思いがよみがえってくるのよねぇ。だって状況が一緒なんだもん。まぁ、私とその時の彼氏はその後ちゃんと付き合い続けて結婚までいきましたが。はい。今のダ~リンがその時の彼氏で~す。それと今の東城さんを見ててもう一つ思い出す事。20歳ぐらいの時に付き合ってた彼氏なんだけど。私の気持ちが冷めちゃって(すまぬ)私から別れたのよね。でも、その人は私にべた惚れだったからなかなか諦めてくれなくって。2、3ヶ月はしつこく付き纏われたわ。ウンザリするぐらい。優しく言ってもわからないから、諦めさせる為にキツイ態度をとったりして。それでやっと離れていってくれたかな。もうほっとしたわ。けどね、、、それから2年以上もたった私の誕生日の日に。その彼は大きな花束をかかえて私の家まで訪ねてきたのよ。「お誕生日、おめでとう」って。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ もうね。いいかげんにしてください!そんなこんなで、結局何が言いたいのかと言うと。こちらはちゃんとフってるのにそれでも諦めてくれなかったら、いい加減迷惑なんです。フラれたら、ちょっと泣いて、わんわん泣いて、その後は忘れる努力をしてください。そんな簡単に忘れられない想いもあるだろうけど、でも。フッた相手はあなたが自分の事を諦めてくれる事を望んでいるはず。だって、そのためにふったのだから。自分のことを諦めてほしくない、忘れてほしくない、と思ったらふったりはしないはず。そうでしょ?キツイ言い方かもしれないけど、そうなんです。そして忘れる事が相手に対する思いやりであり、自分にとっての優しさになったりするのです。愛の形は人それぞれ。けど、相手を思うがゆえに自分の想いをおさえる事もある。自分の想い以上に相手の幸せを願うからこそ。そんな強さを持つ人間には、きっと次の幸せがくるさ。ガンバロ~東城さん。